富田メモ

読み:とみた・メモ
外語:Tomita's memo
品詞:名詞

日本経済新聞で報じられた、昭和天皇の発言とされるメモ。派生して、それに関する問題のこと。

これはマスコミによる捏造であると見られており、いわゆるアサヒストリーの一つである。

2006(平成18)年7月20日、日本経済新聞 朝刊最終版の1面にデカデカと掲載された。経済新聞とは思えぬ記事により、日本中が騒然となった。

昭和天皇が1988(昭和63)年、靖国神社A級戦犯の合祀強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と、当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)に語っていたことが19日、日本経済新聞が入手した富田氏のメモで分かった。

と報道されたからである。

曰く、1988(昭和63)年4月28日に昭和天皇と謁見した際の発言をメモしたものが見つかった、という。

メモは、古く変色した手帳に、真新しいメモ用紙を貼り付けたもので、非常に怪しいものである。

その上、あろうことか「やんごとなき方」の発言とされたため、報道後には様々な人がこれを検証することになった。

メモの文章

メモの文章は新聞、テレビ等でも写真が報道されており、それはネットに様々に流れているが、著作権の問題があるため、ここでは掲載できない。

従って、著作権法第三十二条に従い、写真から書き起こした文章をここに掲載する。改行なども原文にあわせてある。

4.28 ④

前にあったが どうしたのだろう

中曽根の靖国参拝もあったが

藤尾(文相)の発言。

= 奥野は藤尾と違うと思うが

バランス感覚のことと思う

単純な復古ではないとも。

 

私は 或る時に、A級が

合祀され その上 松岡、白取

までもが。

筑波は慎重に対処して

くれたと聞いたが

松平の子の今の宮司がどう考

えたのか 易々と

松平は平和に強い考が

あったと思うのに 親の心子知

らずと思っている

だから 私あれ以来参拝

していない。それが私の心だ

 

・関連質問 関係者もおり批判になるの意

右に2行小さく縦書きされたものは、次のとおり。

・余り関係も知らず

そうですが 多い

登場する人名の説明。

  • 中曽根: 中曽根康弘 元総理大臣
  • 藤尾: 藤尾正行 元文部大臣
  • 奥野: 奥野誠亮 国土庁長官(当時)
  • 松岡: 松岡洋右 元外務大臣
  • 白取: 白鳥敏夫 駐イタリア大使 (メモでは誤字している)
  • 松平: 松平慶民 元宮内大臣
  • 松平の子の今の宮司: 松平永芳 靖国神社第6代宮司

発言の主は誰か

検証の結果、この発言は昭和天皇のものではない可能性が濃厚となってきた。大きく、次の二説ある。

  • 徳川義寛侍従長の発言だった説
  • 藤尾正行元文部大臣の発言だった説

しかし発言主が藤尾だとすると、「奥野は藤尾と違うと思うが」の下りで不自然になるので、この両者とは別の第三者と考えると自然であろう。このため、徳川説が有力視されているようだ。

この日経の報道は内容が内容だけに、事実でない可能性が極めて高く、このメモの出所などが各所より調査された。

週刊誌などで報じられている事実は、次のようになっている。

  1. 富田朝彦(以下、富田)は1978(昭和53)年から10年間、宮内庁長官を務めた。
  2. 富田は昭和天皇に可愛がられていた。
  3. 朝日新聞の清水健宇論説委員(皇室担当)は、このことを知っており、生前の富田に天皇との会話のメモを見せて欲しいと要求する。
  4. 富田はこれを、自分が死んだ時に棺桶に入れて焼いてもらうつもりだからと、断わった。
  5. 富田没後、妻により、家中に数十冊の日記やメモが残されていたのを発見される(2005(平成17)年秋頃)。
  6. 日経新聞の記者が、久々に富田宅を訪れた。富田の妻は、記者に日記と、輪ゴムで束ねられた(妻も読んだことのない)メモを渡した。
  7. このうち、輪ゴムで束ねられたメモの中に、今回問題となった天皇発言があったとされた。
  8. 元々束になっていたメモをわざわざ日記に貼り付けたのは、日経の記者だと見られている。

つまり、メモ自体は本物、つまり富田朝彦が書いたものである可能性が高い。しかし、これが天皇発言であるとするのは、現時点では相当に無理があると考えられる。

テレビや新聞等で必死に報じられたのは下半分のみで、上は殆どカットされ写されなかった。

全文通して見れば、これは昭和天皇の発言などではなく、藤尾(文相)の発言を、誰かが語ったものだと言うことが分かる。

日付は4月28日と書かれているが、これはいつかは分からない。しかし中曽根の靖国参拝が問題視されている旨読み取れるので、1985(昭和60)年4月22日の中曽根首相(当時)の参拝以降と考えられる。

なお、藤尾正行が文相だったのは1988(昭和63)年7月22日〜9月8日である。従って、これ以降という可能性もまた高い。

では、この発言に登場する藤尾正行とはどういう人物か。

彼は1986(昭和61)年、中曽根内閣で文部大臣に登用された後、

  • 戦争で人を殺しても殺人には当てはまらない」
  • 「(日韓併合は)形式的にも事実の上でも、 両国の合意の上に成立した」

など当たり前の発言したため、当時はこれが問題となって総理に罷免されてしまった。当然、当時彼はタカ派と呼ばれた。

藤尾と対比されている奥野誠亮とはどういう人物か。

当時彼は国土庁長官で、やはり藤尾と同様タカ派と呼ばれた人物である。

  • 「(従軍)慰安婦はいない、商行為として行なわれた」
  • 「軍は戦地で交通の便をはかったかもしれないが、強制連行はなかった」
  • 「日本に侵略の意図は無かった」(1988(昭和63)年5月、衆院決算委員会の答弁)

など当たり前の発言したため、当時はこれが問題となって、やっぱり辞任させられてしまった。

そしてこの奥野という男は、自民党などの有志で作る「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の初代会長で、当然、靖国参拝の推進派である。

奥野と藤尾の対比が述べられている通り、同じタカ派と思われる二人であるが、靖国神社に対する考え方がかなり違う。

奥野は前述の通り推進派だが、一方で、藤尾は靖国参拝をしていない。のみならず、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」にも参加をしていない。

ここから、上に引用された発言は、藤尾と奥野の違いに触れ、なぜ藤尾が靖国参拝をしないのか、その理由を述べたものであるとする説がある。

また、「私は或る時」以降は徳川侍従長の発言ともされる。徳川は生前、

  • 病死者まで合祀するのはおかしい
  • 筑波氏のように慎重な扱いにしておくべきだった

というメモ通りの発言をしており、長男の徳川義眞(よしさね)氏も、

新聞でメモを見た時は父の言っていたのと同じだなあ、と思いました。

と語っており、メモと矛盾しないからである。また、侍従長と宮内庁長官の間であれば、こういった会話があっても何ら不思議ではないからである。

参拝

「私はあれ以来参拝していない」の「参拝」だが、そもそも天皇が神社を「参拝」することはあり得ないのである。また、陛下がこの様なことを口にすることも実際にはあり得ない。

なぜならば、天皇は天照大神の子孫であり、葦原中国(この世)においては最も偉い神なので、神社で頭を垂れることなどは無いからである。神社に出向いた天皇に対し、逆に神社の祭神の方が礼をするのである。

祭神が天皇陛下に会いに行っても良いのだが、それを強要すれば厚かましいだけで、普通に嫌われる。わざわざ出向いて挨拶してくれる寛容さを持ってこその天皇陛下である。

従って、位が上であられる天皇陛下が、神社に出向く場合は、参拝とは呼ばず行幸といい、これを(御)親拝を仰ぐという。

なぜこの時期か

毎年、8月15日に向けて7月末頃からマスコミの反日祭が始まる。この一環としての記事ということもあるだろうが、これが報じられた2006(平成18)年7月20日は、次のような事があった。

  • 日経社員、経済新聞にあるまじき「公告盗み見してインサイダー取引」、利益数千万円
  • 安倍晋三官房長官(当時は次期首相候補) 政策本「美しい国へ外部リンク」(文春新書) 発売

元々は安倍潰しを狙い、この日の一面スクープ記事として用意されたとする説が有力のようではある。

これと同じくらい、自社従業員のインサイダー取引事件のもみ消しを狙っていたとする説も有力。しかし、この従業員は25日に無事に逮捕された。