1996(平成8)年12月17日、トゥパク・アマル革命運動(MRTA)のネストル・セルパ・カルトリニ率いる14人の部隊がリマの日本大使公邸を占拠。指導者のビクトル・ポライ・カンポスをはじめとする服役中の仲間の釈放を求めて天皇誕生日の祝宴に集まった各国要人600人を人質にとり立て籠もった事件。
1997(平成9)年4月22日、密かに掘っていた地下トンネルから突入した特殊部隊により犯人グループ全員が射殺された。人質は最後まで残っていた72人(うち日本人24人)中、心臓発作で亡くなった1人以外全員が救出されたが、突入した特殊部隊員が2名殉職している。
当時のフジモリ政権が失脚した後、人質の目撃証言から犯人グループ数人が特殊部隊に処刑されたとの見方が強まり、2001(平成13)年、埋葬されていた犯人の墓を掘り返し新たな検死が行なわれた。その結果、遺体の中には至近距離から後頭部を銃撃された例(ロイター通信の報道によると8人)があることが判明、2002(平成14)年5月、武力突入を指揮した、当時の軍幹部12人が逮捕された。
8月26日、最高裁はトゥパク・アマル革命運動を「一般市民ではなく武装集団」とし、「純然たる軍事作戦中の事件だった」とする軍法裁判所の申し立てを認め、重大な刑事責任があるとしたモンテシノス元国家情報部顧問、エルモサ元国軍司令官、処刑の「実行犯」とされる国家情報部の元大佐の3人以外の9人の審理を一般の裁判所から軍法裁判所に移すことを決定している。