?〜1545(天文14)年。左京亮。海野棟綱の子。
海野棟綱の子とされるが、一説には棟綱の弟。そのため、棟綱の子とされる真田幸隆の血縁関係が諸書によって異なるため幸義と幸隆の血縁関係は一層よく分からない。また、幸義の子が幸隆だとするもの(『寛政重修諸家譜』の真田系図)や幸義に子が無かったため、棟綱の娘の子である幸隆が後継者とされていたとするものなどがあるため幸義に子が居たかどうかもよく分からない。
『滋野通記』付「真田系譜之巻」によれば(同書では幸義は棟綱の弟とされている)、陣代として陣地を預かっていたとされる。
1545(天文14)年の武田信虎、村上義清、諏訪頼重らによる海野平侵攻において、村上勢と戦い討死した。