1566(永禄9)年〜1658(万治元)年。真田昌幸の嫡子で、真田信繁(幸村)の兄。
武田家没後、真田家が徳川家に属した際に人質として浜松に入り、徳川家康の養女で本多忠勝の娘・小松姫を妻とする。父や弟が度々徳川家に歯向かったため、真田家の存続も危ぶまれたが、父譲りのたぐいまれな舵取り術で明治までお家を存続させることに成功している。