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神道

辞書:文化用語の基礎知識 民俗学東洋・神道編 (LFOLKES)
読み:しんとう
外語:Shinto 和製英語
品詞:名詞
2001/03/18 作成
2016/07/26 更新

日本の民族信仰であり、日本土着の自然信仰の一つ。日本社会古来からの風習。

起源

神道は、天照大神を代表し、様々な神や、日本最古の英雄である日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の武勇伝などが記された日本書紀および古事記から歴史は始まり、現在の天皇陛下へと繋がっている。多神教の一種と考えられる。

しかしながら、例えばとして「天照大神」は存在するが、それを唯一神として崇めるものではないという特徴が挙げられる。

また「神」とは言っても、欧米の一神教のGod(神)とは異質である。

神道の神

大抵の民族は、それぞれの宗教を持つが、殆どの宗教では人は神の奴隷である。しかし日本人には、そのような感覚は存在しない。それどころか、人が神を使役することさえもある。

また日本においては「神」という概念は定義が広く、何らかの「力」や「現象」さえも神となる。こうして古来より、あらゆる物に神は宿ると言われている。

こうして何でも神とするため、異教の神に対しても何も考えずに受け入れてしまうのが特徴である。

宗教か否か

神道というものは、日本人の「いい加減な」宗教性をよく表わした存在である。

神道は、宗教的な概念ではあれども、まず神道には統一された教義が存在せず、布教団体もない(神道系新興宗教を除く)。このことから、いわゆる西洋的概念による「宗教」には合致しない。

西洋的概念での宗教では、①教祖、②教典、③タブーの三つを必須とするとされるが、神道にはこれが一つもないのが特徴である。

ただそこに神社があって、ただ民が参る、そういうものである。あまりに日本文化に浸透し過ぎており、本人たちも宗教性に気づかない。

このため、何も考えずに、毎年初詣、時には七五三参りや厄払い、またある時には神頼みにと、足しげく民は神社に通うが、皆は口を揃えて「私は無宗教です」と答える、不思議な文化。それが神道である。

つまり、神道は宗教ではなく、もっと崇高なもの、と言える。このため、多くの日本人はこれを大切にし、汚さないようにしているのである。

平和的な信仰

神道にはタブーがなく、他の信仰を排斥することも無い。

布教もせず、宗教をもとにした侵略もしない。神社には鳥居が立つが、鳥居には扉がない。これは、来る者を拒まず、去る者を追わない事を意味しており、日本人の寛容の文化を表わしている。

これは日本人の普遍的な道徳心の現われとも言える。

宗教的概念

神道の宗教的概念としては、罪穢れを嫌い、これを祓う、といったごく簡単なことだけである。従って、何をもって「神道への入信」とし、「神道を信仰する者」とするかは明確な規定がない。

一般には、家などに神棚を置いたり、神社に寄付したり、神社の祭に積極的に参加する者などが、信者と考えられる。

日本では、初詣、神社での賽銭やかしわ手、結婚式(神式)、七五三などが神道における宗教的行事である。

なお、宗教法人としての神道は大きく二派あり、一つは神社神道、もう一つは教派神道である。後者は教組がいる新興宗教の一派であり、これは明確に宗教(あるいはカルト)と言うことができる。

神道の基盤

まず日本古来の神は、それが人などを束縛するための存在ではないと考えられた。また全ての命は神の恵みであり、また人間の命も自らのものではなく、天照大神に護られてこそ生きているもの、と考えた。

なぜなら日本人は農耕民族であり、自然には決して逆らえなかったからである。神(つまり自然)を怒らせては生きて行けないので、神を崇め奉るようになったと考えられる。

こうして、人間の能力も天から授かったもので、人間は神の恵みを享受するだけの存在であると考えた。そして自然崇拝も神道の特徴ともいえる。八百万の神(やおよろずのかみ)ともいい、あらゆるものに神が宿る、という考え方の原点である。

こういった考え方は、宗教というよりは道徳として日本人の生活に深く入り込んでいる。神道というのは他のあらゆる宗教と矛盾せず共存できるので、無宗教を自称する者も含め、広い意味では日本国民のほぼ全員は神道の信者であるともいえる。

日本人の宗教観

日本人の宗教観を一言で表わす特徴的文言に、次のようなものがある。

神様・仏様・バース様

日本人は神に親近感を持ち過ぎており、野球の応援ですら神様を気軽に持ち出すのである。外国人バッターでも、凄ければ神様仏様と同列なのである(ちなみに、バースとは元阪神タイガース在籍のランディ・バース)。

よく言えば大らかであり、悪くいえばいい加減な、何かに凝り固まることのない適当な宗教観が体系化されれば、神道のようなものが出来上がるわけである。

実際に、かつての横浜ベイスターズの名投手、佐々木主浩を主祭神(?)とし右腕から型取りした御神体が収められた「ハマの大魔神社」などが作られると、連日絶え間なく参拝者が訪れた。

シャーマニズムとアニミズム

神道は、シャーマニズムとアニミズムで構成されると言われている。

シャーマニズムは、呪い(呪術)などの、超越的な力を信仰することである。こういった超自然的な力(神、精霊、死霊など)と直接交渉を行ない、もって予言、託宣・卜筮、あるいは難病治療などを行なうのがシャーマン(巫女、まじない師、呪術師など)である。

アニミズムは、霊魂信仰、精霊崇拝などと訳されている。神道のあらゆる物に神が宿るという精神も、このアニミズムの一つといえる。

この日本のアニミズムが到達した一つの境地は「擬人化」であると考えられ、神や悪魔を人になぞらえて描写し、あまつさえ(今風で言うなら)萌えキャラにしてしまえるような信仰は、他に類例を求めるのは困難と思われる。

神道の存在感

そもそも、日本にはキリスト教徒は数%しかいないが、これは世界の先進国の中では例外ともいえる少なさである。

これは、日常は無宗教と考えながらも実は、キリスト教に対抗できる強い信仰があった、つまり神道があったからこそだといえる。

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