西山事件

読み:にしやまじけん
品詞:固有名詞,@道具

沖縄返還協定を巡るスパイ活動により、毎日新聞の記者と外務省の事務官が逮捕された事件。毎日新聞が起こした数ある事件の一つである。

事件概要

1972(昭和47)年、毎日新聞の政治部記者だった西山太吉が、女性事務官を誘惑して不倫関係を結び、この事実で脅し外務省の機密情報を入手した。

この、不倫関係を利用して機密情報を得ることが、果たして被告人の主張する「報道の自由」にあたるのか、どのような方法でも取材という名目なら無制限に認められるのか、などが争点となった。

最高裁まで争った結果、西山は懲役4ヶ月・執行猶予1年、女性事務官は懲役6ヶ月・執行猶予1年で、共に有罪が確定した。

つまり、このような方法はもはや取材という枠を超えている、という司法判断となった。

事件の問題

この事件の問題点は、次のようなものである。

  1. 病身の夫を持つ女性事務官を誘惑し
  2. 女性事務官をホテルに誘い肉体関係を結び、これを理由に脅し
  3. 外務省の極秘電信を入手し、暴露する

情報を得た後、女性事務官は西山に捨てられた。その上、彼女は離職、離婚と、奈落の底にまで突き落とされた。

更に、西山は悪辣な手法で入手した情報を記事にはせず、政争の具として野党の質問材料に提供した。記者にあるまじき行為、良心のかけらもない行為に、批判が殺到した。

密約の暴露

ここで暴露された機密電信は、沖縄返還に伴う軍用地の土地復元の保障で、米国が払うことになっていた約400万ドルを日本が肩代わりする、という内容である。

またこの際、女性事務官から資料が出たことが分かる通し番号を消さずに野党(日本社会党)の横路孝弘議員らに渡したため、議員は通し番号を入れたままで国会質問にコピーを提出した。

このため、番号から情報源がすぐに判明してしまった。西山は、情報源を秘匿する配慮すら、完全に無視していた。

経緯

  • 1971(昭和46)年5月18日 ‐ 西山が事務官を食事に誘い、その後、肉体関係を結ぶ
  • 1971(昭和46)年5月22日 ‐ 再び情を通じ、西山は機密文書を要求
  • 1971(昭和46)年6月17日 ‐ 沖縄返還協定成立、西山は女性事務官を捨てる
  • 1972(昭和47)年3月27日 ‐ 衆議院予算委員会で、社会党が外務省極秘電信3通を暴露
  • 1972(昭和47)年4月4日 ‐ 女性事務官が国家公務員法第百条(秘密を守る義務)違反、西山が同法第百十一条(そそのかし)違反で逮捕
  • 1972(昭和47)年4月5日 ‐ 毎日新聞朝刊1面「国民の『知る権利』どうなる」として反政府キャンペーン開始
  • 1972(昭和47)年4月15日起訴状で二人の「情交」が発覚。毎日新聞は夕刊で「遺憾」を表明するも、取材の正当性を主張したため批判殺到
  • 1974(昭和49)年1月30日 ‐ 地裁判決。女性事務官は懲役6ヶ月・執行猶予1年、西山無罪。検察側、西山について控訴する
  • 1975(昭和50)年 ‐ 草の根の不買運動などで経営不振、毎日新聞社は会社更生法申請
  • 1976(昭和51)年7月20日 ‐ 控訴審判決。西山に懲役4ヶ月・執行猶予1年の有罪判決。西山側が上告する
  • 1978(昭和53)年5月30日 ‐ 最高裁判決。上告棄却、西山の有罪が確定

新たな判例

現在、新聞報道を規制するような法令は無い。取材は、公判廷における撮影や録音等の制限を除いては一般的な法令が適用され、新聞社も自ら定めた倫理規定に基づいて取材を実施しているようであるが、基本的には今もやりたい放題の態度で取材をしている。

但し、この事件の最高裁で、取材行為として許されない限界が示された。

判例(1988(昭和63)年5月31日最高裁判決)

報道機関といえども、取材に関し他人の権利・自由を不当に侵害することのできる特権を有するものではないことはいうまでもなく、取材の手段・方法も贈賄、脅迫・強要等の一般の刑罰法令に触れる行為を伴う場合は勿論、その手段・方法が一般の刑事法令に触れないものであっても、取材対象者の個人としての人格の尊厳を著しく蹂躙する等法秩序全体の精神に照らし社会観念上是認することのできない態様のものである場合にも、正当な取材活動の範囲を逸脱し違法性を帯びるものといわなければならない

取材の自由は必要であるが、しかし他人の権利や公共の福祉に反してはいけない旨、示された。

不買運動と経営難

西山の取材方法と毎日新聞社の態度は、国民から不信の目で見られた。

特に主婦(鬼女)の反感を買い、当時はまだインターネットも無い中、草の根の活動のみで不買運動が続けられた。

こうして毎日新聞は経営が悪化、1975(昭和50)年に会社更生法を申請、毎日新聞社は事実上倒産したのである。

その後、経営難から1977(昭和52)年には東京放送(TBS)の株式の大半を手放さざるを得なくなった。東京放送はこれにて新聞社系から離れ、安定した株主の無い会社となるが、これが後の楽天の買収攻勢を許す原因になった。

西山の損害賠償請求

西山は全く反省をしておらず、「違法な起訴」や「誤った判決」で名誉を傷付けられたなどとし、国に謝罪と3300万円の損害賠償を求める訴訟を起こした。

2007(平成19)年3月27日、東京地裁(加藤謙一裁判長)は、起訴から20年以上経過しており損害賠償請求は時効(民法の除斥期間)として請求棄却した。密約の有無については判断を示していない。

2008(平成20)年2月20日、東京高裁(大坪丘裁判長)も、第一審を支持、控訴棄却した。

高裁判決後、西山は上告の意志を明らかにしたが、その後については定かではない。

密約

様々な場で、返還時に米国に支払った総額3億2000万ドルの中に、密約とされる土地復元費用約400万ドルが含まれていたことが明らかにされている。

しかし、この暴露された密約については、現在も政府は否定している。