1519(永正16)年に武田信虎が石和館から移して以来、孫の武田勝頼が新府に移すまでの60年間にわたって武田氏の本拠となった館。
石和館は平坦地にあり防衛がむずかしい上に、笛吹川の氾濫にも度々遭っていたのに対し、躑躅ヶ崎館は、南を除く三方を山に囲まれていたので、これを利用して防御を固めれた。信虎はその唯一開けている南方に城下町を築いた。
名は、東側の低い山を「躑躅ヶ崎」と地元で呼んでいることに由来する。