アセニア事件

読み:アセニアじけん
品詞:固有名詞

第二次世界大戦の開戦翌日に発生した、ドイツ海軍のUボートがイギリス客船アセニアを攻撃し、撃沈した事件。

第二次世界大戦勃発直後においては第一次世界大戦時と同じく、Uボートの商船攻撃には制限が加えられており、ハーグ条約の戦時拿捕規定の厳守が命令されていた。

ところが、わずか開戦の翌日である1939(昭和14)年9月4日、ベルファストを出港してニューヨークに向かっていたイギリス客船アセニア(13,500t)にはアメリカ、カナダの観光客、イギリスからの移民、そして東ヨーロッパからの避難民で満載状態であった。そこに無警告で突然雷撃が加えられ、続いて攻撃を加えたUボートの砲撃により、同船は沈没。乗組員・乗客は数時間後にノルウェーのタンカーであるクヌート・ネルソン・クリスチャンサンに救助されたが、112名が死亡した。

アセニア撃沈の報はイギリス側から発せられ、イギリス海相ウェストン・チャーチルはドイツの国際法違反を非難した。第一次世界大戦時におけるルシタニア事件の再来につながることを危惧したヒトラーは海軍総司令官エーリヒ・レーダーに事実関係の調査を命じた。レーダーからの回答は「該当地区で作戦中のUボートは存在しない」というものであったため、ヒトラーは安堵するとともに、アセニアの撃沈はイギリスの陰謀によるもので、アメリカ世論を刺激するようにチャーチルが仕組んだものであるという反プロパガンダを指示した。

しかし、やがてフリッツ・ユリウス・レンプ中尉の指揮するU30が撃沈していたことが明るみになった。レンプはアセニアが通常のコースを外れていた上に、灯火管制をし、ジグザグの航路をとっていたので戦闘艦と勘違いしたと言った。仮に故意でないにしろ、ハーグ条約の戦時拿捕規定の違反は明らかである。しかし、いまさらその事実を認めるわけにも行かず、本件には箝口令を敷き、U30の航海日誌からは問題個所が削除され、真相はゲッペルス宣伝相にすら秘密にされた。そしてドイツ政府はチャーチルの陰謀であると繰り返したが親独国以外ではまったく相手にされなかった。

この事件により、ヒトラーは国籍を問わず客船に対する攻撃の一切を禁じ、Uボートの通商破壊戦を大幅に制限してしまった。

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