アハマド・シャー・マスード

読み:アハマド・シャー・マスード
品詞:人名

アフガニスタン少数派のタジク人。学生の時にムスリム生年組織に入団。ダウドのクーデター後、強硬派のヘクマティアルの呼びかけで反政府ゲリラ活動を展開する。これは一時的な成功を収めたものの、戦略的に甘かったために結局は失敗に終わる。この失敗が原因でヘクマティアルとの仲は最悪になった。以後、ペシャワールでゲリラ戦の猛勉強をし、ソ連介入期はブルハヌディン・ラバニの元でゲリラ活動を行なうが、この際に「パンジシールの獅子」の異名を得るほどの働きをし、英雄となる。これは日本でも写真集が出版され、展覧会までもが開催されたことからも伺い知れる。

この名声から、ソ連撤退後のラバニ政権では国防相を務め、タリバン勢力が強力になった後は、各ムジャヒディン勢力の残兵を集めて、タリバンに対抗する「北部同盟」の司令官をしていた。

2001(平成13)年9月9日、ジャーナリストを名乗る2人組のアラブ人と会見中に、ビデオカメラに仕掛けられた爆弾が爆発、負傷(一説にはこの時に死亡)、その後回復することなく死亡した。

米同時多発テロが発生したのは彼が襲われたわずか2日後である。このため、タリバンやアルカイダが米軍に首謀者が自分達であるとばれ、北部同盟と共に自分達を攻撃してくる前に、北部同盟のカリスマ的存在であった将軍を暗殺することで機先を制しようとしたのではないかという観測もある。