1917(大正6)年〜1945(昭和20)年。最終階級 中尉。最終授与勲章 剣付柏葉騎士鉄十字章。出撃回数 583回、撃墜機数 267機。
1917(大正6)年2月21日、ズデーテンラントのクロンスドルフ生まれ。1941(昭和16)年2月に第54戦闘航空団第2中隊に配属された。独ソ戦開始2日目の6月23日に初撃墜を記録したもののその後も伸び悩む。ところが翌年6月〜9月にかけて39機を撃墜したのを手始めとして一気にペースに乗り、9月中旬には100機の大台を突破した。そして10月26日に127機撃墜の功に対して騎士鉄十字章が授与された。翌1944(昭和19)年1〜4月まで一時前線を離れたが、前線復帰後は急速にペースを上げ、4月8日には150機に到達し、柏葉騎士鉄十字章が授与されている。続いて8月23日には200機を突破し、10月にはヴァルター・ノヴォトニー、ギュンター・ラル、ゲルハルト・バルクホルンらに次ぐ4人目の250機の撃墜記録を達成した。11月25日、通算で264機撃墜したところで剣付柏葉騎士鉄十字章が授与された。1945(昭和20)年1月には中尉に昇進して第54戦闘航空団第2中隊長に就任。しかし、その直後の2月16日、Il-2の逆襲にあい(対空砲?)戦死した。
わずか583回の出撃で得た戦果が267機であるということと、その大半が重装甲のIl-2であったことは、如何に彼が卓越した戦闘機パイロットであったかを物語っている。