オットー・クレッチマー

読み:オットー・クレッチマー
外語:Otto Kretschmer ドイツ語
品詞:人名,+軍人

1912(大正元)年〜?。最終階級 中佐(ナチスドイツ海軍)、少将(民政ドイツ海軍)。最終授与勲章 剣付柏葉騎士鉄十字章。第二次世界大戦におけるUボートトップエース。

1912(明治45)年5月1日、シュレージェンのハイダウ生まれ。1930(昭和5)年にドイツ海軍に入隊し、1936(昭和11)年12月1日からU35に次席将校として乗り込んでスペイン内戦の支援任務に参加する。1937(昭和12)年10月1日付で艦長としてU23に乗艦。1940(昭和15)年4月18日からはU99艦長となる。ビスケー湾、北大西洋などで作戦航海を16回にわたって行ない、特に長いナイフの夜におけるSC7船団への攻撃に際しては総撃沈隻数17隻のうち、9隻は彼の戦果であった。1940(昭和15)年8月4日に117,000トンの撃沈に対してフランスのロリアンで騎士鉄十字章、3ヶ月後の11月4日には200,000トン達成に対して全軍で6番目、潜水艦艦長としてはギュンター・プリーンに次いで2番目となる柏葉騎士鉄十字章を総統自ら授与するという栄誉に浴している。更に1ヶ月後の12月26日には全軍で5番目の剣付柏葉騎士鉄十字章を授与されている。

彼は、デーニッツから自分の幕僚にならないかと誘われていたが、あくまでも現場主義の彼はそれを断り、運命の出撃へと向かった。1941(昭和16)年3月17日ヨアヒム・シェプケのU100他と共にHX112護送船団に攻撃を仕掛けるが、対潜水艦戦のエースドナルド・マッキンタイア中佐の指揮する駆逐艦「ウォーカー」の爆雷により艦が損傷し乗組員と共に捕虜となる。その後はカナダのボーマンヴィル収容所に送られて捕虜側代表となっている。この収容所時代に「アイルランド」という秘密の連絡システムを通してデーニッツと連絡を取り、Uボートカナダまで派遣してもらうことに成功している。しかし、肝心の脱走の方はトンネルを収容所外まで100mほど掘って、脱出というものであったが、決行直前に露呈、失敗に終わっている。1947(昭和22)年12月31日に釈放され、戦後は西ドイツ国防軍に勤務している。

結局、捕虜になるまでの通算成績は44隻、266,629トンでこれは第二次世界大戦におけるトップの記録であった。

彼の通告を与えてからの撃沈など希に見る騎士道精神は敵からも賞賛されている。