シャルンホルスト級

読み:シャルンホルスト・きゅう
外語:Sharnhorst class
品詞:名詞

ナチスドイツ海軍が再軍備宣言をしてから最初に建造された主力艦のクラス。「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」の2隻がある。

1932(昭和7)年11月、装甲艦3隻(「ドイッチュランド」「アドミラル・シェーア」「アドミラル・グラーフ・シュペー」)の着工を果たした時点でドイツ海軍総司令部は全部で6隻、すなわちあと3隻の装甲艦の建造を決定し、4番艦以降も1936(昭和11)年から逐次起工する計画を立てていた。その後、1933(昭和8)年1月にヒトラーが政権を掌握すると、海軍はこれを好機と見、4番艦の建造繰り上げを求めた。その結果、同4番艦は1934(昭和9)年度の建造が承認された。

ところが、此の頃フランス海軍ではドイツの装甲艦に対抗して1931(昭和6)年度に戦艦「ダンケルク」の建造を決定し、更にはイタリアの新戦艦(ヴィットリオ・ヴェネット級)の情報が入って来るやいなや1934(昭和9)年度に2番艦「ストラスブール」の建造を承認させた。同級は排水量26,500トン、33cm四連装砲2基を備え、速力も29.5ノットを出せた。同級がドイツ装甲艦を超越しているのは明らかである。そこで、海軍は1934(昭和9)年9月にヒトラーに4、5番艦の兵装と装甲の強化を要求した。ヒトラーは最初、防御力の強化のみを承認し、排水量は1万9,000トンクラスとなった。その後更に主砲塔の増備も承認され、排水量はダンケルク級に並ぶ2万6,000トンクラスになった。これはヴェルサイユ条約の制限条項をはるかにオーバーしてしまうため、ヒトラーは対外的に4番艦を装甲艦、すなわち1万トン級の改良型ということにしておき、実際の排水量トン数は公表しないように指示した。こうして表向きは装甲艦の改良型、実際ははるかに大型の巡洋戦艦の建造準備が着々と進められ、4番艦は1935(昭和10)年3月に起工することになった。しかし、着工直後はともかくも、工事が進んでくれば2.5倍も排水量に違いがあるので、ごまかしが効かなくなるのは明白であった。

そこで、ヒトラーはヴェルサイユ条約を拒否し、再軍備を宣言。同時にイギリスを刺激しないように海軍艦艇の排水量をイギリスの35%(潜水艦は45%)に制限するという英独海軍協定を結んだ。これによってドイツ海軍はイギリス海軍の35%である合計42万トンの艦隊を保有できることになり、戦艦1隻の排水量の上限も他軍縮条約批准国と同じ3万5千トンにまで上がった。しかし、いきなり制限一杯の計画を発表して英仏を刺激することを恐れ、計画に変更を加えず、ダンケルク級に並ぶ2万6,000トン級2隻の建造計画が公表された(排水量は最終的に6,000トンも更に増大していたが、これは公表されなかった)。

設計は第一次世界大戦中に計画した未成巡洋戦艦マッケンゼン級(3万1千トン、35.6cm連装砲4基、速力27ノットをタイプシップとした。協定成立により主砲は40.6cm砲まで認められていたので、イギリス戦艦と同じ38cm砲の搭載も考えられたが、同砲が開発に長期を要するのに対し、28cm砲は既に装甲艦の4番艦、5番艦用に用意されていたものが流用できるため、それで我慢し、38cm砲は後日の大改装時に装備することとなった。ちなみに同じ28cm砲でも前3隻の装甲艦に装備されていたものとは別物で、52口径から54.5口径になっている。この28cm砲は三連装砲であったが、これを前部に2基、後部に1基を装備。副砲の15cm砲も連装4基、単装4基の計12基を中央部両舷側に分けて装備。対空火器として10.5cm連装高角砲7基と37mm、20mm対空機銃両計24挺を装備した。前3隻の装甲艦では魚雷発射管が装備されており、本型も装甲艦であった時ときには搭載が予定されていたが、巡洋戦艦の鞍替えした際に廃止された。航空兵装としてはカタパルトを後部構造物上と3番主砲砲塔上に各々1基装備し、水上偵察機4基を搭載できた。

装甲は水線上で350mm、甲板105mm、主砲塔前楯360mm、同天蓋150mm、司令塔350mmとなり、装甲重量は1万4千トンにも上り、全重量の40.2%を占めた。これは装甲艦をはるかに上回るものであった(「アドミラル・グラーフ・シュペー」で2,976トン、20%)。なお、装甲には次のビスマルク級と同じくヴォタン甲鈑が使用されている。

主機として長大な航続力を維持するために前3隻の装甲艦と同じくディーゼル機関の装備が検討されたが、巡洋戦艦としての必要な高速力を発揮するためには1軸あたり4万馬力以上のディーゼル機関が必要であったが、完成時期のめどが立たないので、タービン機関に改めた。ただ、燃料節約の面から高温高圧タービンを採用した。このボイラーはワグナー缶12基で、その蒸気条件は50気圧、450℃であった。これは同時期の日本の戦艦「大和」のボイラーが25気圧、325℃はおろか高速駆逐艦として著名な島風(三代目)の40気圧、400℃でさえ霞んでしまう。作動蒸気の高温高圧化は燃料消費量の節減、機関部重量や容積の低減などのメリットがあるが、その反面、機関の信頼性確保が難しい。よってこの機関の搭載はドイツの機関技術の高さを物語るものであったが、この機関の開発に時間を要し、建造遅延の原因となってしまったのは否めない。主機は「シャルンホルスト」がブラウン・ボリベー式、「グナイゼナウ」はゲルマニア式の高圧タービンを搭載し、3基、3軸。これにより16.5万馬力を発揮し、速力31ノット、航続力17ノットで1万海里を得た。

各々計画年次は1933(昭和8)年度(「シャルンホルスト」)と1934(昭和9)年度(「グナイゼナウ」)と一年ずれているが、「グナイゼナウ」の方が先に起工し、進水の時には「シャルンホルスト」が逆転したが、竣工は再び「グナイゼナウ」の方が先であった。

艦首はドイッチュランド級装甲艦などと同じく垂直艦首であったが、凌波性に問題があったため、「グナイゼナウ」は就役後間も無くの1938(昭和13)年から39(昭和14)年にかけてに艦首を5m延長し、傾斜型のクリッパー型(アトランティック・バウ)に改められたが、改造後の公試の結果、今度は錨鎖孔がかなりの波しぶきを上げることが判明し、これを塞いで代わりに甲板の縁に錨鎖孔を設けねばならなかった(しかし、これらの改修をもってしても結局荒天下での状態はさほど改善されなかったと言われている)。続いて完成した「シャルンホルスト」同様の工事を行なったが、前後して煙突の背後にあった柱檣を撤去し、前部カタパルトの後方に三脚檣を設けた。更に後には前檣楼上にレーダーアンテナを設け、後部カタパルトも撤去した。

姉妹艦なので二艦の艦容は酷似しているが、後檣のヤードに相違が見られる。

コラム(要目)
基準排水量 34,841トン
全長 229.8m(艦首改修後は234.9m)
幅 30m
吃水 9.91m
主機 蒸気タービン 3基、3軸
出力 165,000馬力
速力 31ノット
主砲 28.3cm三連装砲 3基9門
他の兵装 14.9cm連装砲 4基、同単装砲 4基 計12門
         10.5cm連装高角砲 7基14門、37mm連装機銃 8基16挺
         20mm単装機銃 8挺、カタパルト 2基
艦載機 水上機4機
装甲 水線 350mm、甲板 105mm
乗員 1,840名