リシュリュー級戦艦2番艦。
第二次世界大戦勃発時には進水すらしておらず、フランス降伏時も未完であった。しかし、フランス海軍は本艦を強引に就役させ、1940(昭和15)年6月18日夜半、ドイツ軍の手に渡らないようにまだ半分しか搭載されていなかった推進軸で4ノットを出して逃亡を図った。コンパスすら無く、前途が危ぶまれたが、途中で駆逐艦の「ル・アルディ」が先導してくれたため、なんとかカサブランカまで辿り着くことが出来た。
本国脱出時には主砲は1基しか搭載されておらず、それも使用不可能な状態であった。しかし、その後乗員が整備し、陸上に3ヶ所の射撃指揮所を設けていた。1942(昭和17)年11月、トーチ作戦によって、アメリカ軍が同地に上陸して来ると、港内に停泊したままで、この1基の主砲でアメリカ戦艦「マサチューセッツ」と砲撃戦を行なう。しかし、「マサチューセッツ」からの40cm砲弾8発他を受け大破着底。同地でそのまま終戦を迎える。
戦後、応急修理の上、1945(昭和20)年11月サン・ナゼールに帰港。翌年初頭からブレスト海軍工廠で工事が再開された。一時は空母への改造も考えられたが、そのまま戦艦として1949(昭和24)年に竣工。この際にバルジを新設すると共に10cm連装高角砲 6基12門と57mm連装機関砲 14基28門を追加装備している。こうして「ジャン・バール」は世界で最後に造られた戦艦となった。1961(昭和36)年まで地中海艦隊に属した後予備艦となり、1970(昭和45)年に除籍された。
本艦の除籍をもって、1870(明治3)年に就役した「オセアン」からはじまる100年に渡ったフランス戦艦の歴史は幕を閉じることとなった。
コラム(年譜) 建造所 ロアール造船所(再開工事はブレスト海軍工廠) 1940(昭和15)年3月6日 進水 1940(昭和15)年6月18日 就役 1970(昭和45)年 除籍