リシュリュー級戦艦のネームシップ。
1936(昭和11)年に起工されたものの、1939(昭和14)年の第二次世界大戦勃発時はおろか、1940(昭和15)年のフランス降伏時に至るも完成していなかった。とはいうもののほぼ完成状態(95%完工)ではあったため、6月15日にフランス海軍は本艦を強引に竣工させ、ドイツ軍の手に渡らないように18日にアフリカのフランスの植民地であったダカールへと脱出させた。
その後、1940(昭和15)年7月8日にイギリス空母「ハーミーズ」艦上機のソードフィッシュ複葉雷撃機の攻撃で後部に魚雷1本を受け破損。9月にはイギリス艦隊から砲撃を受けるもこれは撃退、そればかりか英戦艦「バーラム」に命中弾を与えて損傷させている。
1942(昭和17)年に連合軍側に属し、ニューヨークに回航されて、残った工事を完了させると共に、航空艤装の撤去、対空兵装の大幅な強化(37mm連装機関砲 8基16挺、13.2mm四連装機銃 2基4挺 → 40mm四連装機関砲 16基64挺、20mm機銃 48挺)、レーダーの搭載などの改装も行なわれた。なお、フランスがメートル法であり、リシュリューもメートル法で設計・建造されていたのに対し、アメリカがヤードポンド法であったため、この時そこから来る苦労があったらしい。
工事完了後はイギリス本国艦隊に配備され、ノルウェー沖のパトロールを行なった後、イギリス極東艦隊に配属され、対日戦に参戦する。スマトラ島のサバンにあった日本の第1南遣艦隊の第49根拠地を1944(昭和19)年7月に砲撃、翌年重巡「羽黒」の捕獲作戦に参加するが、イギリス駆逐艦に勲功を挙げられてしまった。
日本降伏後は仏印に留まり、1946(昭和21)年に本国に帰還。戦後も長らくフランス海軍の戦艦として就役し続け、1959(昭和34)年に予備役編入、1967(昭和42)年に除籍され、解体された。
コラム(年譜) 建造所 ブレスト海軍工廠 1936(昭和11)年 起工 1939(昭和14)年1月17日 進水 1940(昭和15)年6月15日 就役 1967(昭和42)年 除籍