九六式艦上戦闘機

読み:きゅうろくしきかんじょうせんとうき
外語:Type 96 Carrier Fighter , Claude
品詞:固有名詞

A5M。日本初の全金属低翼単葉戦闘機で、日本は本機と九六式陸攻の出現により、一挙に世界のトップレベルに踊り出ることができ、零戦が登場するまで海軍戦闘機の主力だった。

1933(昭和8)年2月、海軍は九試単座戦闘機の名で三菱と中島に開発を指示した。軍が提示した要求は、最高速度(高度3,000mで190kt以上)、上昇力(高度5,000mまで6分30秒以内)、燃料搭載量(200L以上)、兵装(7.7mm固定機銃二挺、無線装置は受信機のみ)、寸法制限(幅11m、長さ8m以内)という極めて緩和なものだった。これは計画要求書を作成した主務部員の沢井秀夫少佐の英断によるもので、「艦上機」という制約を外した上に、寸法や航続力に対する要求も緩和するという思い切った方針を打ち立てることによって、設計者に自由に腕をふるわせ、画期的な戦闘機を得ようというものであった。

ここで三菱が新進気鋭の堀越二郎技師を主務者にし、全力で開発に取り組んだのに対し、中島は陸軍用として開発中のキ-11をベースとしたものでお茶を濁した。この力の入れ様の差は当然性能に表れ、1934(昭和9)年2月からはじまった飛行試験では、三菱九試単戦は計画要求をはるかに上回る最高時速 451km/h、上昇力5,000mまで5分54秒を記録し、最高速度が407.4km/hだった中島機に大差をつけた。

この結果を受け、1936(昭和11)年11月、制式採用され九六式艦上戦闘機として量産されることになる。エンジンの選定には悩まされ、出力は多少劣るが信頼性の高い「寿」2型改1(632馬力)が選ばれている。これが量産型九六式艦上戦闘機の初型である九六式1号艦上戦闘機(A5M1)で、1937(昭和12)年初めから三菱で生産が開始されている。36号機から74号機は「寿」2型改3に換装し、九六式2号艦戦1型(A5M2a)となった。75号機からは風圧から搭乗員を保護するため胴体を太くして、密閉風防に改修するとともにエンジンを「寿」3型(690馬力)に換装し、九六式2号艦戦2型(A5M2b)となった。九六式3号艦上戦闘機(A5M3a)は、20mm砲付きのイスパノスイザ液冷エンジンを装備する機体であるが2機が試作されたに留まり、その機体も日華事変の勃発により「寿」3型に再換装されて実戦部隊に配備されている。九六式艦上戦闘機の最終発展型となった九六式4号艦上戦闘機(A5M4)はエンジンを「寿」4型(785馬力)に換装したモデルである。このモデルはシリーズ中最多量産型となり、零式艦上戦闘機と交代するまで海軍の主力戦闘機として活躍している。

九六式艦上戦闘機は開発した三菱で782機、佐世保海軍工廠と渡辺鉄工所(後の九州飛行機)で合わせて200機、合計982機が生産されている。

九六式艦上戦闘機は正式採用された翌年からはじまった中国戦線に次々と投入され、瞬く間に中国機を駆逐する高性能ぶりを発揮した。しかし、中国軍が奥地へ撤退した中国軍への爆撃に向かう陸攻の護衛をするには航続力が不足し、陸攻の被害が増加、新戦闘機(零式艦上戦闘機)の登場が渇望されることとなる。

コラム (九六式4号艦戦のスペック)
全長          11.00m
全幅          7.565m
全高          3.237m
主翼面積      17.80平方m
自重          1,216kg
全備重量      1,671kg
発動機        中島「寿」4型空冷785馬力 1基
最大速度      435km/h(高度3,160m)
上昇時間      3,000mまで3.35分
実用上昇限度  9,830m
航続距離      1,200km
武装          7.7mm機銃2挺, 爆弾30kg 2発
乗員          1名