九州飛行機

読み:きゅうしゅうひこうき
品詞:会社名,@企業

18試局地戦闘機「震電」や陸上哨戒機「東海」などのユニークな機体を製造した会社。

その歴史は1886(明治19)年1月に渡邊藤吉本店の付属工場として創業し、水揚げポンプなどを製作したところから始まる。その後1916(大正5)年に合資会社渡邊鉄工所に、続く1919(大正8)年、株式会社渡邊鉄工所に改組。1921(大正10)年には海軍指定工場となり、魚雷発射管の製造を開始した。航空機関係では、1923(大正12)年に航空機用車輪を試作したのに続き、1930(昭和5)年に航空機部を設け、海軍飛行機機体の製作開始。1935(昭和10)年には武器専門工場となる飛行機工場を新設し、飛行機製造を開始。1942(昭和17)年には香椎に航空機工場が開設されている。会社組織の方も陸海軍別に分離独立し、1937(昭和12)年に陸軍関係の太刀洗製作所、1943(昭和18)年に海軍関係の九州飛行機株式会社を新設し、ようやく九州飛行機の名が登場する。ちなみに親会社の方も海軍関係が独立するのと同時に九州兵器株式会社に社名変更している。

最初に手がけた飛行機は海軍の初歩練習機で、その後九三式中間練習機の量産で地歩を固めた。九六式小型水偵や陸上哨戒機「東海」、局地戦闘機「震電」など異色の機体も手がけており、チャレンジ精神溢れる海軍機メーカーであった。

戦争末期は米軍が戦後処理のことまで考えていたとしか思えないが、工場敷地ともまったく爆撃を受けることなく終戦を迎える。1945(昭和20)年12月に九州飛行機、九州兵器の両社とも賠償指定工場となり、進駐軍により兵器製造機械の破壊を命じられ、他の機械は常時手入れを行ない、いつ搬出されても使用可能な状態を維持するよう保全・管理を命じられたが、朝鮮戦争勃発のためアメリカの対日政策が変更になり1950(昭和25)年に賠償解除になる。そのため旧会社は束縛を解かれて清算は急速に進展して1954(昭和29)年旧会社は解散した。その後九州兵器は渡辺鉄工に戻り、九州飛行機は渡辺自動車工業となっている(2001(平成13)年1月31日解散)。