戦前の日本の航空機メーカー。
中島、三菱の双璧に次ぐ航空機メーカーで、1920(大正9)年に横廠式ロ号甲型水偵の生産を請け負った愛知時計電機株式会社が前身。航空機メーカー愛知航空機株式会社として独立したのは実はかなり遅く、1943(昭和18)年のことであった。
元々の社名は「愛知時計電機株式会社」と言い、名古屋で時計を製造する会社であった。本業での時計技術を使い、元々は魚雷の信管などの精密部品を海軍向けに製造していた関係で、航空機製造に携わるようになってからも主に海軍用の飛行機を生産している。1920(大正9)年に横廠式ロ号甲型水偵のライセンス生産で航空機製造の世界に足を踏み入れ、1935(昭和10)年にドイツのハインケル社と技術提携し、設計能力も得た。このため、愛知航空機の航空機はハインケル色が強い。
1943(昭和18)年2月には「愛知航空機株式会社」と社名も変更し、航空機設計・開発によりいっそう取り組んだ。戦後は元の社名である「愛知時計電機株式会社」に戻り、水道メーター製造など、民需会社となった。
艦爆についてはほぼ独占状態であり、「艦爆の愛知」として有名であった。主な開発機として、九九艦爆、彗星、流星、零式水偵、瑞雲、晴嵐などがある。
中島、三菱の両双璧が陸海軍共に、また様々な機種を手がけていたのに対し、それに次ぐメーカーである愛知は海軍専門で、艦爆得意というのは、同じく双璧に準じる規模を持つ川崎が陸軍専門で戦闘機が得意だったのと対称的であり、面白い(ただし、生産実績など会社の規模自体は川崎のほうがかなり上である)。また、同じダイムラー・ベンツ社のDB601エンジンを別々にライセンス契約し、それぞれ艦爆「彗星」の熱田、三式戦「飛燕」のハ40を開発していたのは、日本陸海軍の対立を物語る良い例としてよく取り上げられている。