空母

読み:くうぼ
外語:aircraft carriers 英語
品詞:名詞

全通甲板を持ち、艦上機を運用できる軍艦

飛行機が軍艦上にお目見えするのはライト兄弟によるフライヤーの初飛行からわずか7年後の1910(明治43)年11月のことである。ユージン・エリーが操縦する水上機がアメリカ海軍の軽巡洋艦「バーミンガム」上に設けられた特設滑走台からの発進に成功したのである。さらにそれから2ヶ月後、同じくエリーによって操縦された陸上機が装甲巡洋艦「ペンシルバニア」への着艦に成功。曲がりなりにも艦上からの発着艦に成功した。

しかし機体の性能そのものが未熟であったこの頃には、硬い地面に発着する陸上機よりも柔らかい海面に発着する水上機の方が楽に開発できたこともあって、水上機が人気となっていた。そのため、各国海軍でもこの水上機を運用するための母艦、水上機母艦が他艦種から改造または新造された。こうして各国で水上機母艦が一通り揃ったところで時代は第一次世界大戦に突入。

1914(大正3)年9月5日、世界初の水上機母艦である日本の「若宮」から発進した水上機によって青島のドイツ軍陣地が爆撃されたが、これは軍艦から発進した航空機による初の爆撃であった。「若宮」の水上機はその後も青島のドイツ軍が降伏するまでの約2ヶ月間に6機でのべ49回の出撃、総飛行時間71時間、199発の爆弾を投下し、損失無しという戦果を挙げている。

ヨーロッパでも1915(大正4)年8月には地中海東部海域で地上作戦を支援していたイギリスの「ベン・マイ・クリー」から発進した水上雷撃機がトルコの輸送船を撃沈。史上初の母艦搭載機による撃沈を記録した。続いて1916(大正5)年5月にはイギリスの「エンガディン」の搭載機がドイツ巡洋戦艦部隊を発見。これは史上初めての母艦搭載機による敵艦隊発見であると同時に、ジュットランド海戦のきっかけとなったということからも大きな意味がある。

水上機は母艦に回収しようと思えば海面に着水した水上機をクレーンを使って収納せねばならず、収納後も真水で洗浄乾燥の手間が必要であるし、発進も後に発艦甲板を備え艦上から発進できるものも登場したが、基本はクレーンを使って海面に下ろしてやらねばならなかった。そして、海面が荒れると離水・着水は困難であり、運用を中断せねばならず、着水に成功しても回収に失敗して機体が水没してしまうことも多かった。また、発艦甲板を備えた艦からは陸上機の発艦も可能であったが、着艦は出来ないため、近くの陸上基地に着陸するか母艦の近くに強行着水して乗員だけ救出するかしかなかった。この様な欠点はありながらも水上機母艦は上にも挙げたように多方面で活躍し、これが艦上だけで航空機を運用できる、すなわち車輪付航空機の着艦も出来る母艦の開発へと繋がることになる。

1917(大正6)年、イギリスは使用目的が消滅し、宙に浮いてしまっていた未完の巡洋艦「フューリアス」の前部に飛行甲板を設置。ソッピース・パップ戦闘機による運用テストを開始した。発艦はそれまでの発艦甲板付水上機母艦と同様であったので問題無かったが問題は着艦である。着艦は艦の後方から接近し、艦橋構造物を回り込んで着艦するというサーカス芸が要求されていた。飛行隊長だったダニング少佐はこの無謀とも言える着艦を試みた。初回は上手く成功したが、数日後に行なわれた再度の試みでは艦橋前で横滑りして甲板にタッチはしたものの、エンジンが切れて機は舷側から落下。少佐は殉職してしまった。この教訓から艦後部に着艦甲板が新たに設けられたが、制動に失敗した場合には艦橋構造物に激突してしまうという問題点があった。この「フューリアス」の運用実績は次の「アーガス」に引き継がれた。「アーガス」は航海艦橋すらも昇降式にした完全なフラットな艦であり、史上初の全通飛行甲板を持つ空母となった。次にイギリス海軍に登場したのは「イーグル」である。この艦は右舷中央に煙突と一体化した艦橋を持っていたことが特徴である。日本海軍は煙突の装備法に苦しみ、「鳳翔」の起伏式、「赤城」の下付け式、「加賀」の艦尾導管式などを経て、「イーグル」と同じ方式になるのは1944(昭和19)年完成の「大鳳」であったし、艦橋も1933(昭和8)年完成の「龍驤」まで飛行甲板下であり、「飛龍」「蒼龍」で両弦で試され、右舷やや前方に固定されたのは次の翔鶴級(1941(昭和16)年)からであるという苦しみ様からすると大きな違いである。その次に登場したのは、先に起工しながらも途中で日本の「鳳翔」に追い抜かれてしまったイギリス初の新造空母「ハーミーズ」である。「ハーミーズ」の特徴はエンクローズド・バウを採用していたことで、このエンクローズド・バウが日本で採用されるのは1944(昭和19)年完成の「大鳳」からであった。アメリカでは1927(昭和2)年完成のレキシントン級で艦首だけでなく艦尾まで完全に飛行甲板と船体が一体化されたデザインを採用しておきながら、それが復活するのは1955(昭和30)年以降竣工するフォレスタル級まで待たねばならなかった。

このイギリスの動きに対して、アメリカも1922(大正11)年3月、「ラングレー」が完成。「ラングレー」は完成時からカタパルトを装備していたが、これは世界初のカタパルトを装備した空母である。この米英に遅れて日本も1922(大正11)年12月、「鳳翔」を完成させた。しかし、この「鳳翔」は最初から空母として建造された最初の艦であり、日本が英米に出遅れているどころか先進的であったことすらも窺わせている。

このようにして三大海軍国が一通り空母を保有したところでワシントン海軍軍縮会議が行なわれた。この会議の主眼は主力艦たる戦艦の建造を停止することであったが、そのため代わってそれを補える存在として空母の存在が一躍クローズアップされることとなった。まず、3万トンを超える空母が各国2隻まで認められたため、保有が出来なくなった大型艦が空母へと改造された。これがイギリスの「カレイジャス」「グローリアス」、アメリカの「レキシントン」「サトラガ」、日本の「赤城」「加賀」、フランスの「ベアルン」である。特に英米の艦は各々それまで1万トンの艦しか保有したことがないところにいきなり3倍もの排水量の大艦を建造したとは思えない完成度振りであった。また、各々巡洋艦並みの20cm砲8〜10門も搭載していた。これはやはり戦艦を補う砲撃力を求めたというのと、この頃はまだ搭載機の航続性能が低く、敵艦隊と空母が遭遇する可能性もあったのである(後にいずれも撤去)。また日英の艦が多層式の飛行甲板を持っていたのもまだ完全に黎明期を脱しきれていないことを示している。この多層式飛行甲板は発艦と着艦が同時に出来るというのが利点であったが、実際下段の飛行甲板は実用性の乏しく、「赤城」「加賀」は後に一段式に改装されたし、フューリアス級は改装されなかったものの下段飛行甲板はほとんど使用されなかった。

また、ワシントン海軍軍縮条約では1万トン以下の空母は制限の対象外とされたため、それに基づき日米は「龍驤」と「レンジャー」を建造した。特に日本は空母の保有量も英米よりも低く設定されていたため、それを挽回するために「龍驤」に込められた期待は大きなものであった。さらに続いて起こされたロンドン海軍軍縮条約では1万トン以下の艦も対象に入れられることとなったため、さらに要求性能は激しさを増し、結果極めてトップヘビーな艦となってしまった。1934(昭和9)年には友鶴事件を受けて改修が施されたが、それでなんとかなるものではなかったらしく、1935(昭和10)年の第四艦隊事件で艦橋が圧壊。大改装が加えられるという散々たる結果となった。

続いて日米で建造されたのは日本の「蒼龍」「飛龍」とアメリカの「ヨークタウン」「エンタープライズ」「ワスプ」である。この建造にあたっては既に両国とも条約で認められた枠をかなり使い果たしてしまったため、条約で認められた残量を見ながらとなり、日本は残量を二等分した排水量の艦を建造したし、アメリカは本当は同級3隻としたいところが残量が足りないため、3隻目(「ワスプ」)をやや小型で我慢している。このあと日本の脱退により条約が破棄され、日本が翔鶴級2隻をアメリカがヨークタウン改型とも言える「ホーネット」を建造したところで両国は第二次世界大戦を迎えることとなる。

この時点で両国が保有していた空母は8隻。しかしそれぞれ最初に建造された「ラングレー」「鳳翔」はほとんど戦力とは見なせず、軽空母の「レンジャー」「龍驤」も性能に制限が付いていたため、真に戦力と見なせるのは6隻ずつと全くの互角であった。しかし、その運用法はまるで違っていた。アメリカがイギリスのように空母を単艦で運用していたのに対し、日本は集団で運用していたのである。元々日本海軍は空母を特別な軍艦とは見なしていなかった。そのため、空母も戦艦や巡洋艦などと同じく複数の艦で戦隊を組むのは当然と考えられていた。これは潜水艦も戦隊を組まれていたことからも分かる。この考えにより、日本が手にする2隻目の空母「赤城」が完成すると、「鳳翔」と「赤城」とでは4倍も排水量が違うため、協同運用はかなり困難と思われるにも関わらず、直ぐ様この2隻で第一航空戦隊が編成されている。しかし、日本海軍の中にもそれとは異なる考えを持つ人間も居た。第一航空戦隊司令官の小沢治三郎少将であった。彼は空母の集中運用論を1940(昭和15)年6月9日に『航空艦隊編成ニ関スル意見』として吉田海相に提出した。これが認められ、1941(昭和16)年4月1日に第一、第二、第三航空戦隊からなる第一航空艦隊(空母は5隻)が編成された。真珠湾攻撃に向かう機動部隊はこの第一、第二航空戦隊に加え、際どく完成した翔鶴級2隻からなる第五航空戦隊を中核とした6隻の空母からなっていた。これは上でも述べたように日本海軍が保有する空母戦力の全てである。南方の資源確保を第一とする軍令部は全てを真珠湾攻撃に振り分けてしまうことに反対したが、小沢と同様に空母の集中運用を唱える源田実中佐の意見もあり、山本五十六聯合艦隊司令長官がその職を賭けてまで6隻にこだわり実現させた結果である。アメリカ海軍がこのように保有する空母の全てからなるような集中運用を見せるのは1944(昭和19)年6月のマリアナ沖海戦からである。日本海軍はこの保有する全空母の集中運用をその空母戦力が壊滅するまで維持していった。

しかしそれは上でも述べているように一部の人間の考えによるものではなく、日本海軍が本来予定していた運用法ではなかった。日本海軍の基本戦略は洋上迎撃構想であった。空母の集中運用方式の欠点はただでさえ攻撃に弱い空母を一箇所に固めておくとまとめて攻撃を食らい、大損害を受けるということであった。その良い例がミッドウェー海戦である。この空母の強大な攻撃力を生かしつつ、脆弱性をカバーするように生み出されたのがアウトレンジ戦法であった。その基本はアメリカ海軍機よりも日本海軍機の方が航続距離が長いことを生かし、相手の搭載機の航続距離圏外から一方的に攻撃を加えようというものである。そのためには敵の正確な位置を知っておく必要があるが、迎撃戦であるため、事前に放たれている潜水艦や付近の基地航空隊からの索敵情報を当てに出来た。陸上運用機ならば航続距離も長いため、遠距離での発見も期待できるわけである。しかし、日本はその陸上基地と艦隊との連携は大きな家族的な日頃の緊密な関係や訓練によってカバーできると考え、捜索のためのレーダーや連絡のための通信機器などの開発に力を注いでいなかったのが片手落ちである。実際珊瑚海海戦ではこれを実践しようとしたものの陸上部隊との連携に失敗し、両軍の航空機が敵機動部隊に殺到する殴り合いとなってしまっている。また、アウトレンジ戦法と言ってもそれが可能な距離は限られており、ちょっとでも敵の接近を許してしまえば直ちに攻撃を被ってしまう危険性があった。このために生み出されたのが「大鳳」「信濃」の重装甲空母であり、補助空母であった。前線には強力な護衛部隊を従えた重装甲空母を配しておき、後方の補助空母からやって来る航空機を一旦降ろし、燃料や爆弾・魚雷を補給して攻撃に向かわせる。こうすれば前線の危険なエリアには数隻の空母しか存在しないのにその数倍隻分の航空機を攻撃へと向かわせることが可能なのである。また、前線の空母は重装甲を施されているため、敵からの攻撃を受けても簡単には沈まないようになっている。これが実行に移されていれば大きな戦果を挙げれたかもしれない。しかし、山本の集中運用方式によってその戦法は瓦解することとなった。商船改造空母も正規空母と同じように運用されたが、当然なことながらそのようなことは不可能であり、ほとんど活躍することなく撃沈されていった。またこのようなお互いに大きな被害が出る、両軍の機動部隊が四つに組んでの戦いでは造船能力の差がモロに出てくる。開戦後、日本はミッドウェー海戦で主力4隻を失ったが、アメリカもそれと前後して空母を失っていっていたので、1942(昭和17)年の半ばの時点では各々生き残りの「翔鶴」「瑞鶴」、「サトラガ」「エンタープライズ」で戦いを続けざるを得ず、勢力は均衡したままであった。これが1944(昭和19)年になるとアメリカにエセックス級空母が続々と就役しだし、最終的に大戦中に17隻も登場させたのに対し、日本が「大鳳」1隻しか就役させれなかったことが勢力図を大きく変えることとなった。これが露となったのがマリアナ沖海戦である。この戦いではアメリカ軍が集結させた空母の数は15隻で、うち6隻がエセックス級空母であった。一方日本軍が集結させることが出来たのは9隻。エセックス級の数だけ差があったのである。また、この戦いは日本海軍が本来の構想においていたマリアナ沖での迎撃戦である上にアウトレンジ戦法が用いられたため、日本海軍が想定していた戦い方を行なったのではないかと思っている人も多い。しかし、日本軍の指揮者は、この伝統的な戦法を破壊した集中運用方式を唱えた張本人である小沢であった。日本艦隊は3つの円陣形を構成していたが、一番後方の円陣形を構成していたのが「大鳳」以下からなる主力である。つまり、軽空母隊を警戒部隊とし、主力を後方に置いて保全するという陣形なのである。これは本来の戦法での形とまるで正反対である。それにアウトレンジ戦法そのものも技量や技術力に大きな差がついた状態では勝利は望むべくも無かった。

このような日米の空母を傍目に、イギリスが第二次世界大戦直前から大戦中にかけて建造したのが、翔鶴級や「ホーネット」に相当する「アークロイヤル」と「大鳳」やエセックス級に相当するイラストリアス級である。それらの各艦に共通しているのが高い防御力である。「アークロイヤル」では航空機用ガソリンタンクをバイタルパート内に取り入れてしまっていた。続くイラストリアル級では飛行甲板や格納庫に装甲を施していた。このような装甲を施した空母は日本では1944(昭和19)年完成の「大鳳」が初であり、アメリカに至っては戦後に完成したミッドウェー級が初である。この重装甲の真価は第二次世界大戦末期の沖縄戦によって発揮された。アメリカ空母が神風特攻を受けて次々と戦線を離脱するのを横目にイラストリアス級の各艦は被害を最小限に食い止めることに成功し、基地に回航しての修理は必要無く、攻撃を受けてからわずか6時間後には発着艦が可能となったという。ところで、何故か空母搭載機数のみが空母の性能を決めると考える人間からは、イギリス空母は搭載機数が少ないため性能が悪いとの烙印を押される。これは全くの誤りである。この重装甲と搭載機数はバーダーであり、イラストリアス級でも側壁装甲を114mmから38mmに減じた「フォーミダブル」や「ヴィクトリアス」では72機を搭載でき、「大鳳」やエセックス級にも負けない格納庫面積を確保している(「大鳳」の搭載機数が少ないのは上でも挙げた日本海軍の運用思想からであり、搭載可能な機数を表わしているものではない。また「エセックス」級空母の搭載機数が多いのはアメリカ空母が露天繋止状態で搭載機を積んでいたのと、搭載機の主翼折り畳み機構などによって1機あたりが占有する面積が狭かったことに起因する)。

戦後になると航空機はジェット機時代を迎えた。しかし、そのジェット機を満足に運用するだけの性能が空母には無かった。このため初期のジェット艦上機は凡庸な性能のものばかりであった。この問題が解決されるのはイギリスによってアングルド・デッキスチーム・カタパルトミラーランディングシステムなど満足にジェット機を運用できる機構が開発されてからであった。

これらの新技術の登場を受けて、アメリカでフォレスタル級、キティホーク級が建造され、さらにそれを原子力化した「エンタープライズ」やニミッツ級が華々しく登場していく一方、イギリスは第二次世界大戦中に建造が開始されていた「イーグル(II)」「アークロイヤル(III)」「ハーミーズ(II)」の各艦の運用を続け、新たな空母の建造は行なってこなかった。これは空母の建造費が高騰を続け、かのイギリス海軍と言えどもそれをまかなえなくなっていたのである。しかし、それらの艦は老朽化していき、いずれは代艦を建造せねばならない。それに対するイギリスの回答がインヴィンシブル級のV/STOL空母であった。搭載機をV/STOL機に限定することで必要とされる母艦性能の水準を下げ、建造費を抑えることに成功したのである。その一方でV/STOL機の発艦の補助の役目をするスキー・ジャンプ勾配を艦首に設けるという独創性も相変わらず持っていた。その搭載機がハリアー5機とシーキング・ヘリコプター9機に過ぎず、各国からその能力に疑問を持っていたが、1982(昭和57)年のフォークランド紛争で、「ハーミーズ」「インヴィンシブル」の両V/STOL空母は大活躍し、その有用性を全世界にアピール。イタリア、スペイン、タイなどがV/STOL空母の保有に踏みきり、V/STOL空母という新たな艦種のジャンルを生み出している。

このようにイギリス空母は黎明期以降日米空母の立場が大きくなるのに相対して陰に隠れて行き、特に日本ではほとんど顧みられることは無いが、その実、空母はイギリス海軍が衰退をはじめた20世紀に登場した艦種であるにも関わらず、現在に至るも新しい方式・技術などのほとんどはイギリスで生み出されているのである。

空母には類似の艦種が多数存在する。まず、水上機母艦は航空機を運用する軍艦であり、艦上機を運用する空母が登場するまでは空母と呼ばれていたが、現在ではそうは呼ばない。次に巡洋艦などの一般水上戦闘艦の甲板の一部を使って航空機を運用できるようにした艦がある。しかし、それは全通甲板を持っておらず、また運用できるのは戦前なら水上機、戦後ならヘリコプターであり、艦上機を運用できるわけではない。したがって、空母には含まれず、あくまでも航空機を運用できる能力を有した巡洋艦(戦前なら航空巡洋艦、戦後ならヘリコプター巡洋艦)に過ぎない。第三にCTOL機の運用は出来ないV/STOL空母がある。しかし、V/STOL機も艦上機には違いなく、また全通甲板を持っているため空母に入る。一方、微妙なのがヘリのみの運用が出来るヘリ空母である。ヘリは固定翼機ではなく、艦上機とは呼べない。しかし、ヘリ空母も全通甲板を有していることもある上にV/STOL機の運用も行なおうと思えば可能であろう。そのため、空母に含めることもあるが、「ヘリ空母」として別に置いておかれるのが一般的である。ところで、強襲揚陸艦には全通甲板を持ち、V/STOL機の運用も出来るものもある。しかし、その名が示すとおり強襲揚陸艦は揚陸のための軍艦であり、空母とは呼ばない。ただし、航空機を運用する能力を有しているものもあることは事実であり、その分他の水上艦や支援艦艇とは扱いを別にされて、空母と共に論ぜられることはある。

日本の輸送艦「おおすみ」も輸送艦と言いながら実質強襲揚陸艦に近い性格を持っており、ヘリが離発着できる全通甲板を備えている。しかし、これは離発着できるだけのことであって、格納は出来ず、「おおすみ」にはヘリの運用能力すら無い。したがって、「おおすみ」は空母ではない。

コラム (「空母」関係の分類図)
                        ┌正規空母(CTOL機, V/STOL機, ヘリ)
                        │
            ┌空母(狭義)┼V/STOL空母(≒軽空母)(V/STOL機とヘリ)
            │          │
┌空母(広義)┤          └護衛空母
│          │
│          └ヘリ空母(ヘリ)
│
├水上機母艦(水上機)
│
└強襲揚陸艦(ヘリと一部V/STOL機)