ドイツ・スイス・アメリカの理論物理学者。
特許局で仕事の傍ら理論物理学を研究し、1905(明治38)年に光量子論、ブラウン運動論、特殊相対性理論の三つの論文を発表した。ブラウン運動論は、物質が原子からなるという仮説の重要な証拠となった。
同年に光が粒子的性質を持つこと、そして金属が光から電気を生じる光電効果の法則を明らかにし、1921(大正10)年度のノーベル物理学賞を受賞した。
1915(大正4)年に論文「一般相対性理論および重力論の草案」を発表した。ここで述べられる、光が重力によって進路が曲げられると言う予言は1919(大正8)年の日蝕(日食)観察で実証され、名声を高めた。更に万有引力と電磁場の統一を試みたが、これは成功しなかった。
1924(大正13)年にボース・アインシュタインの統計として知られる「量子統計力学」を確立する。
彼は、自分自身は宗教的な人間だと思ってはいたものの、ありきたりの組織的な宗派(キリスト教など)を信仰することはなかった。
そんなアインシュタインは「わたしが信じているのはスピノザのいう神だ」と言ったという。スピノザとはユダヤ人哲学者である。
腹部大動脈瘤を患っていたが、76歳にして遂に破裂し出血。彼は手術を拒み、数日後に逝った後も、葬儀は公の通知を出さず、遺書には花輪や音楽も控えるようにと認められていたと言われている。
遺骨を墓を残すことを嫌い、デラウェア川に散骨された。E=mc2の如く「単純なものこそ美しい」の精神のあらわれである。
なお、彼の脳は研究用として取り出され残されている。