カッパロケットに続く日本の固体燃料ロケットで、最初の本格的な衛星打ち上げ用ロケット。
最初のラムダロケットL-2型1号機は1963(昭和38)年に打ち上げられた。
その後も開発は進み、三段式のL-3型ロケットが1964(昭和39)年に打ち上げられた。
次いで1965(昭和40)年にL-3H型1号機が打ち上げられたが、第二段のスピン不足のため失敗した。しかしその2号機は成功し、到達高度2Mmを記録した。
このL-3Hの上に4段目を載せ、衛星打ち上げを可能としたのがλ-4S型ロケットである。
社会党が日本のロケット開発を露骨に妨害し続けたことには理由があった。
「軍事転用を阻止する」というのが建前である。だが、実際には別の理由が存在したとする説がある。
ある説によると、社会党は、日本よりも先に支那を成功させたかった、とする。このため妨害したのだとされており、しかし社会党の妨害に耐え日本は衛星の打ち上げに成功した。そして、献身的努力により社会党が応援してやまなかった支那のロケットは、日本のおおすみ成功の約2ヶ月後に打ち上げに成功している。