中村修二

読み:なかむら・しゅうじ
外語:NAKAMURA Syuuji
品詞:人名

実用的な青色LEDの発明者。カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授。

1954(昭和29)年 愛媛県出身。

仁科記念賞、大河内記念賞、本田賞、朝日賞などを受賞している。

主な著書は次のとおり。

ツーフロー法の開発

まず最初に、よく中村修二が青色LEDの発明者と言われることがあるが、それは誤りである。

実際に青色LEDを発明したのは赤﨑勇だが、中村は赤﨑勇よりも早く大量生産に向いた方法を開発した点が功績である。

発明の一番のポイントはツーフロー法とその制御条件であり、この技術はエジソンの発明した電球にも匹敵するとも言われている。

日亜と中村

しかし世紀の大発明をしたにも関わらず、当時在籍していた日亜化学工業(以下日亜)は、その発明を利用するだけ利用しながら中村に対しては酷く冷遇された。このため海外の研究者たちからは、スレイブ(奴隷)ナカムラと同情を集めたため、中村は日亜を去り、海外へ渡ることとなった、と自著で語っている。

中村は先代の社長には大変可愛がられていたのだが、その娘婿に日亜を乗っ取って以降、日亜は変貌を遂げ、中村は冷や飯組に追いやられたのである。これが、以降の事件の発端ともいえる。

中村修二は退職後、2000(平成12)年2月に米カリフォルニア州立大学サンタバーバラ校の教授に就任した。

また後に、日亜のライバルの照明開発会社である米クリーの関連会社に非常勤研究員として迎え入れられ、自ら発明し日亜の特許となっている技術を用いない青色や白色LEDの開発などに尽力することになる。

日亜との裁判合戦

その後、日亜と中村は裁判合戦となる。

総じて見れば、日亜は中村に億の報奨金でも出しておけば、恐らく丸く収まった話だったのだろう。中村が日亜を去ることもなく、余計な裁判合戦もなく、日亜自体も著しい発展を遂げたかも知れない。

中村のために2億円の装置の予算を会長決裁で通した旧会長は先見の明があったが、その後継ぎの娘婿が大変な愚か者であったため、中村と無用な争いになった、と結論づけられる。