盧溝橋事件
読み:ろこうきょうじけん

 北京南部を流れる盧溝河の橋、盧溝橋の周辺で発生した、支那事変そして大東亜戦争の切っ掛けとなった事件。
目次

概要
 1937(昭和12)年7月7日夜半、駐屯中の日本軍は夜間演習をしていたところ、暗闇より銃撃があった。
 この日、日本軍駐屯地の近くには支那の国民党軍(蒋介石軍)も駐屯していたが、同様に銃撃があった。
 日本軍は国民党軍が、国民党軍は日本軍が銃撃してきたものと考えて、双方で交戦状態に入るものの、双方とも何かがおかしいと考えており、事件から5日後、両軍は停戦協定を結んで事態は収束した。

特徴

日本軍
 日本軍は夜間演習中であったため、実弾を携行していなかった。
 駐屯軍参謀長の橋本群 陸軍中将も当時の状況を、実弾がなく応戦できず危険だったと述べている。

国民党軍
 では国民党軍(蒋介石軍)が発砲したのかというとそうでもなく、国民党軍も銃撃を受けている。
 現在、中国共産党は、日本が先に攻撃したとして日本に謝罪を求め、村山富市が現地に赴いた際には、あろう事か「日本の反省」の意を示した。しかしながら、非武装状態だった当時の日本軍が、武装していることが分かりきっている国民党軍と事を構えるわけがなく、そもそも非武装の日本軍が先制攻撃することは理論的にも現実的にも無理である。
 実弾を持っていなかった日本軍が発砲できないとすると、では、いったいどこから弾が飛んできたのか。

黒幕
 この事件は、中国共産党の謀略であった。
 国民党に対して劣勢だった共産党が起死回生を狙ったもので、日本軍と国民党軍の双方を消耗させ漁夫の利を得ようとの目論見が、見事に成功した。日本はその後8年間にも渡り支那での戦争を余儀なくされ、国民党は内戦で敗れたことで、共産党が支那の支配権を得ることに成功したのである。
 共産党は、盧溝橋事件は劉少奇(後の第2代国家主席)の指示によって行なわれたとしており、劉の功績を讃えている。中華人民共和国が成立した1949(昭和24)年10月1日、周恩来首相も同様の発言をしており、共産党軍が日本軍・国民党軍の双方に発砲し、日華両軍の相互不信を煽ったことが今日の栄光をもたらした、とした。

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