マケドニアのファランクス |
辞書:文化用語の基礎知識 戦国時代編 (LHMIDAGE) |
読み:マケドニアのファランクス |
品詞:名詞 |
マケドニアのフィリッポス二世が生み出した戦法。フィリッポス二世の息子アレクサンドロスはこの戦法を受け継ぎ、超大なアレクサンドロス大帝国を築き上げた。
当時、マケドニアはスパルタやアテネ、テーベに比べて後進国であり、そのため、フィリッポス二世は人質として3年間テーベで過ごしたが、この時にテーベの名将エパミノンダスの戦法を盗み、改良を加えて、本国に戻り、国王に即位後に実現させた。
具体的には、右側軽装甲歩兵、左側重装甲歩兵の主力4,000名を横幅250mで16列に並べ、その右翼にそれぞれ横幅80mでマケドニア重騎兵(カンパニオン騎兵とも言う)500余騎、左翼にテッサリー重騎兵500余騎を配し、前衛には同じく約1,000名の軽歩兵を横幅250mで4列、その左右翼に横幅80mで各500騎の軽騎兵(竜騎兵、すなわちドラグーン)、後衛には約2,000名の歩兵を横幅250mで8列に配した。重装甲歩兵は、刀でも斬れないような頑丈な鎧を着ているので、防御は強いが機動力は悪い。一方、軽装甲歩兵は弓矢を防げる程度の軽い鎧を着ているので、防御力はや矢犠牲になっているが、機動力に富んでいる。マケドニア重騎兵は攻撃に、テッサリー重騎兵は防御に優れていた。軽歩兵は弓を主装備とし、全く鎧を身にまとっていなかった。軽騎兵も同じく弓を主装備とし、鎧を身にまとわない。歩兵は槍を主装備としていた。
つまり、攻撃のマケドニア重騎兵と防御のテッサリー重騎兵を中心にその間の連携をうまくとらせるための両装甲騎兵を主力とし、その効果が十二分に発揮されるような前衛・後衛を組み合わせ、左翼側で敵の攻撃を吸収しつつ、右翼から攻撃を加えるのである。
コラム (ファランクスの構成図) 前│ │ │ │ │ 軽騎兵 500騎 │軽歩兵 4列 約1000名 │ 軽騎兵 500騎 │ 衛│ │ │ │ ─┼────────┼───────────┼─────────┤ 主│テッサリー重騎兵│重装甲騎兵・軽装甲騎兵│ マケドニア重騎兵 │ │ │ 16列 │(カンパニオン騎兵)│ 力│ 500余騎 │ 約4000名 │ 500余騎 │ ─┼────────┼───────────┼─────────┤ 後│ │ │ │ │ │ 歩兵 8列 約2000名 │ │ 衛│ │ │ │ │← 80m →│← 250m →│← 80m →│
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