クルド民主党

読み:クルドみんしゅとう
外語:KDP: Kurdistan Democratic Party
品詞:団体組織名,@集団

クルド人の有力家系である「バルザニ家」出身で、クルド独立闘争の英雄であるムスタファ・バルザニが民族独立を目指してイランで設立、1946(昭和21)年にイラクに戻る際に引き連れて来た組織。1979(昭和54)年にムスタファが死去した後は、息子のマスードが後を継いでいる。略称の "KDP" で呼ばれることも多い。現在の勢力はおよそ1万5千人。

イラクのフセイン政権に対する闘争を繰り返したが、1975(昭和50)年、有力メンバーであったジャラル・タラバニがバルザニの個人独裁に反対して離脱。クルド愛国同盟を設立してクルド民主党との内部闘争に入った。翌年には対イラク武力闘争を再開。イラク・イラン戦争では、PUKとともにイランに抱き込まれ、イラン革命防衛隊と共に対イラク合同軍事作戦を展開。1987(昭和62)年、PUKと和解し対イラク共同戦線を張る。

湾岸戦争後はイラク北部に設置されたクルド人自治区の北側半分を管理。しかし、1994(平成6)年以降、トルコ国境貿易の利権などを巡ってKDPとの戦闘が激化。劣勢に立たされていたKDPはPUKがイランの支援を受けていたので、それに対抗して宿敵であったはずのイラクのフセイン政権と手を結び、PUKを攻撃。一時はPUKの根拠地であるスレイマニヤを陥落させたが態勢を立て直してPUKによって奪還されてしまった。10月、米国の仲介により両勢力は停戦と政治的対話の継続に合意。その後1998(平成10)年9月17日にはワシントンで連立政権樹立と1999(平成11)年夏の自治区議会選挙の実施で合意したが、閣僚の配分などで対立、実現していない。

同じクルド人勢力であるトルコのクルド労働者党(PKK)とは仲が悪く、PDKはトルコ政府と手を結んでいる。