六四天安門事件

読み:ろくよん・てんあんもんじけん
外語:Tienanmen Massacre
品詞:名詞

天安門事件の一つで、1989(平成元)年6月4日に起こった、支那共産党政府による民主化弾圧事件のこと。血の日曜日事件とも。

事件という表現は優しいが、事実を反映していない。英語ではTienanmen Massacre(天安門大虐殺)という。

この年の4月に胡耀邦(こようほう)元総書記が亡くなった。

これを契機として支那では民主化を求める動きが強まり、この日、民主化運動のために学生らが広場に参集した。

これに対し人民解放軍は、民主化を武力で封じ込めるために市民に発砲し、多数の死傷者を出した。死者数ははっきりしないが、状況からみて数千人はかたいとされる。

この事件以降、支那共産党は人民の鬱憤を外へ向けようとし、その矛先を日本に向け、今まで以上に反日活動、反日教育に熱を入れるようになる。

そして1996(平成8)年7月29日、橋本龍太郎総理は、六四天安門事件の後初めてとなる首相の靖国神社参拝を行ない、この時初めて支那から抗議されるようになる。

これは、朝日新聞のご注進記事などでの、精力的な活動の成果である。