かつて日本に存在した、社会主義を標榜した政治政党。通称「社会党」。
1906(明治39)年に「日本社会党」が結党された。翌年に結党禁止となる。
戦後の1945(昭和20)年、改めて社会主義政党として結党された。
社会党の内部は左派から右派までがおり、左派はマルクス主義派、右派は社会民主主義派であった。
社会党は国際組織である「社会主義インターナショナル」に加盟していたが、これは右派主導によるものである。左派は、革命による現体制の打破、資本主義の打倒を標榜していたからである。
社会党は、当時のソ連や支那を中心とした社会主義国との関係を重視していた。友好訪問と称しソ連・支那への訪問を繰り返す一方で、アメリカをはじめとした民主主義・資本主義国は無条件に敵視し、まともな外交を取らなかった。
社会党はベトナム戦争(社会党的には、アメリカのベトナム侵略)を批判したが、クレームを大使館に入れるだけという、明らかに偏向した外交政策をとっていた。
なお、加盟していた社会主義インターでさえベトナム戦争は支持していたが、これに社会党の左派が反発、しばらく会費を滞納するという抗議をした。
また国内的には、ひたすら日本の軍事の弱体化に努めたり、テロリスト化した闘争学生を賛美したりと、外患誘致の基礎作りに奔走していた。
村山富市で一回政権を取ってしまったことが、社会党としては最大の失敗であった。村山の無策、無能が世界中にばれてしまったからである。
このおかげで社会党は崩壊、その後は牛歩戦術だの何だのといった、社会党を特徴付けていた戦術もすっかり影を潜めるようになった。
やはり、野党として無責任に文句だけ言っていた方が、政権を担う能力のない政党にとっては、結果として良かったのであろう。