東條英機

読み:とうじょう・ひでき
外語:TOUJOU Hideki
品詞:人名

政治家。男性。既婚。日本国の第40代内閣総理大臣。

生没1884(明治17)年12月30日〜1948(昭和23)年12月23日。東京都出身。

次のような特徴を有する。

  • 左利きである。
  • メモ魔である。
  • 勤皇である。
  • かなりの堅物である。
  • 戦争中に首相をクビになった。

略史

  • 1884(明治17)年12月30日: 生まれる
  • 1941(昭和16)年10月18日: 内閣総理大臣に就任
  • 1941(昭和16)年12月8日: 大東亜戦争開戦
  • 1944(昭和19)年7月22日: 内閣総理大臣を退任
  • 1945(昭和20)年8月14日: 日本政府ポツダム宣言受諾(敗戦)
  • 1946(昭和21)年4月28日: A級戦犯として起訴される
  • 1946(昭和21)年5月3日: 特別法廷(旧陸軍士官学校大講堂)にて極東国際軍事裁判(東京裁判)開廷
  • 1948(昭和23)年4月16日: 極東国際軍事裁判(東京裁判)の審理終了
  • 1948(昭和23)年11月12日: 死刑判決
  • 1948(昭和23)年12月23日: 巣鴨プリズン刑場で絞首刑(死刑執行)により没
  • 1953(昭和28)年8月3日: 衆議院本会議にて「戦犯」の名誉回復、ならびに「法務死」扱いを決定
  • 1967(昭和42)年10月18日: 昭和殉難者として靖国神社に合祀される

概要

大東亜戦争の遂行責任者。軍人というよりは政治家。

組織内の掌握に長けた能吏ではあったが、陸軍自体の方向性を調整・転換することができなかった。

戦争

東條が首相に就任した頃、既に世論は沸騰しており、戦争への道は避けられない状況にあった。

幸か不幸か、当時から日本という国には国会があり民主主義が成立していたため、世論の意見には逆らえなかったのである。かくして不幸にもそのまま戦争に突入してしまったため、東條は後に悪人として仕立て上げられることになる。

東條は昭和天皇から絶大な信頼を受けており、終戦後、東京裁判でA級戦犯とされるが、天皇陛下に戦争責任が及ぶことを避けるため、人柱となることを選択した。

やがて死刑となるが、彼自身がそれを予感しており、生前に幾つかの遺書を残している。

東條英機が東條英機として日本にいたお蔭で、今の日本と皇室は守られ、悠仁親王殿下へと繋がっている。

靖国

1953(昭和28)年8月3日に衆議院本会議にて「戦犯」の名誉回復、ならびに「法務死」扱いとされた。

国が殉国者と認定したことを受けて、1967(昭和42)年10月18日に昭和殉難者として靖国神社に合祀された。