ミラベロ級の1隻。1940(昭和15)年6月のイタリア参戦時には、僚艦の「カルロ・ミラベロ」と共にアドリア海方面のブリンディシにいたが、6月〜7月にかけてタラント湾に機雷を敷設し、続いてイタリア本土-アルバニア間の輸送船団護衛の任に就いていたが、10月に陸軍がギリシャに侵攻すると、それを支援するためにコーフーを中心として火力支援、艦砲射撃を行なった。
「カルロ・ミラベロ」が戦没した後は北アフリカへの輸送船団護衛の任に就いていたが、その旧然たる装備を改めるため、1942(昭和17)年〜1943(昭和18)年頃、魚雷発射管の全てと、船首楼後端と艦尾の10.2cm砲を2基ずつ撤去し半減させ、主檣も撤去し、代わりに増大している航空機・潜水艦の驚異に対抗するため、20mm単装機銃8基を搭載し、爆雷携行数も増加された。
イタリア敗戦時の1943(昭和18)年9月にはマルタで投降。戦後、賠償艦としてソ連に引き渡されることになったが、回航されることなく1951(昭和26)年、イタリア国内にてスクラップにされた。