アメリカ陸軍特殊作戦部隊

読み:アメリカりくぐんとくしゅさくせんぶたい
外語:U.S. Army Special Operations Forces
品詞:団体組織名,@集団

主に紛争地域で活躍するアメリカ陸軍の特殊部隊。正式名称はアメリカ陸軍特殊作戦部隊(U.S. Army Special Operations Forces)であるが、一般的には隊員が緑色のベレー帽を被っていることからついた愛称の「グリーンベレー」の名で呼ぶことが多い。

第二次世界大戦において、アメリカ軍はイギリス軍のコマンド部隊を模した陸軍レンジャー部隊や、陸軍刑務所に収監されていた囚人などによって編成された第1特殊任務部隊、現在のCIAの前身となるOSS(戦略情報局)などによって特殊作戦や不正規戦を行なった。それらの部隊は戦後解体されたが、朝鮮戦争が勃発すると第二次世界大戦で上記の組織に属して戦っていた元隊員を集め、フォート・ブラッグの心理戦センターに第10特殊部隊群(10th SFG:Special Forces Group)を編制した(1952(昭和27)年)。これがアメリカ陸軍特殊作戦部隊のもととなるのであるが、この部隊は外国の正規軍・不正規軍への育成・訓練、援助を目的とした非戦闘部隊であった。この第10特殊部隊群はその後の拡張により、一部が第77特殊部隊群(77th SFG)として独立(1953(昭和28)年)、西ドイツに派遣された。更にその第77特殊部隊群の分遣隊を中心として第1特殊部隊群が編制され(1957(昭和32)年)、沖縄を拠点にベトナムへと派遣された。その第77特殊部隊群は第7特殊空挺部隊群(7th SFGA:Special Forces Group Airborne)と改名し(1960(昭和35)年)、やはりベトナムへと派遣された。1961(昭和36)年9月25日、当時のアメリカ大統領ジョン・F・ケネディはこれらの一連の特殊部隊群を正式部隊として認可し、ここにアメリカ陸軍特殊作戦部隊が誕生した。

帽子は、元々その任務の特殊性から個人の好みが黙認されていたが、1952(昭和27)年頃からグリーンのベレー帽を被る者が多くなり、1954(昭和29)年にエクマン大佐が内規で着用を許可、翌年にはほとんどの隊員が着用するようになっていた。これが1961(昭和36)年の旗揚げ時に陸軍省から正式にグリーンのベレー帽の制服既定を設け、制服の一部として認証されている。

べトナム戦争後、同戦争におけるCIAの度を越した不正規・非合法活動に批判は集中し、カーター政権下でCIAは弱体化を余儀なくされた。これは、その作戦を実際に遂行していた特殊部隊も同様であり、その規模を縮小されることとなった。更に、ベトナム戦争後、アメリカの軍事対象はソ連・中国になり、冷戦の度合いが高まり、核兵器へ注力することになるが、それはつまり通常兵力部隊への予算削減へと繋がる。その中でも、グリーンベレーはベトナム戦争では訓練支援などの地味な活動に従事していたため、兵力縮小の絶好のターゲットとなってしまい、当時グリーン・べレーにおいて最大の規模を誇る第5特殊部隊群(5th SFG)が解体されたのをはじめ、縮小の一途をたどる事となった。それが改善されたのはレーガン政権下で「強いアメリカ」が唱えられ、おりから激化していたテロ行為に対処するようになってからのことである。

装備品に関しては、SEALsと異なり、既定の厳しい陸軍に属するため、隊員が装備を自由に選択することは無く、基本装備は一般兵と殆ど変わらない。

グリーンベレーは現在、現役7個特殊空挺部隊(第1、第3、第5、第7、第10、第19(州軍)、第20(州軍))、予備役2個(第11、第12)が編制されている。

当初は軍事顧問的役割を果たしていたが、ベトナム戦争を機に実戦部隊化がはかられ、戦争が泥沼化すると対ゲリラ戦を主任務とするようになり、テロが激しくなると、対テロ能力も有するようになってきている。

複数のチームがあり、チームによって担当地域が決まっているらしい。

知名度は高く、ベトナム戦争中の1968年にはジョン・ウェイン主演のその名もズバリ「グリーン・ベレー」が国防総省の全面協力のもとで作成され、公開されている。また、「ランボー」では主演のシルベスタ・スタローンは元グリーン・ベレー隊員という設定であった。