アルフレッド・セイヤー・マハン

読み:アルフレッド・セイヤー・マハン
外語:Alfred Thayer Mahan
品詞:人名,+軍人

1840(天保11)年〜1914(大正3)年。アメリカ海軍軍人。最終階級 少将。1859(安政6)年アナポリス卒(席次2番)。海軍戦略の大家。

1840(天保11)年9月27日、ニューヨーク州ウェスト・ポイント生まれ。父親はウェスト・ポイント陸軍士官学校の教授であった。1859(安政6)年にアナポリス海軍兵学校を2番の成績で卒業し、南北戦争に従事した。1868(明治元)年にアジア艦隊に所属の「イロコイ」副長として日本に来る。この時、天保山沖において大坂城を退去し、「イロコイ」に迷い込んできた(ということになっている)徳川慶喜、松平容保、松平定敬を保護している。

その後、海軍兵学校教官、海軍大学校教官を経て、1886(明治19)年に2代目の海軍大学校長となった。1896(明治29)年大佐の階級で一旦退役するが、1898(明治31)年に現役復帰。1906(明治39)年に少将で再び退役した。

著書の「海上権力史論(The Influence of Sea Power upon History、1890(明治23)年)」は、西洋兵法のクラウゼヴィッツの「戦争論」、東洋兵法の孫子の「兵法書」と並ぶ海上兵法のバイブル本ととなり、その中で述べられている「シーパワー」は各国の海軍整備に影響を与えた。

セオドア、フランクリンの両ルーズベルト大統領は彼の信奉者であった。