1885(明治18)年〜1960(昭和35)年。最終階級 空軍元帥。
1885(明治18)年、ウンターフランケンのマルクトシュテフト生まれ。第一次世界大戦には砲兵士官として従軍。戦後、秘密裏に空軍が創設されると、1933(昭和8)年に強制的に空軍へ移籍させられる。しかし、努力家の彼はそれにもめげず、48歳でパイロットの資格を取得する。この前向きな姿勢が評価され、初代空軍参謀総長が事故死すると、後任に任ぜられる。が、ここでも空軍次官のエアハルト・ミルヒと折り合いが悪く、ミルヒによって第1航空艦隊司令長官として外に追い出されてしまう。それでも同航空艦隊を率いてポーランド戦、続いて1940(昭和15)年からは第2航空艦隊を率いてフランス戦、"バトル・オブ・ブリテン" に参加。この功績が認められて元帥に昇格。1941(昭和16)年6月、同航空艦隊を率いて地中海方面の全空軍部隊を指揮。北アフリカのエルヴィン・ロンメルをバックから支えた。
1945(昭和20)年3月、ドイツ軍最後の反攻作戦 "ラインの守り" の失敗の責をとって退いたゲルト・フォン・ルントシュテットの後任として西方総司令官に就任。ドイツの敗戦により、5月7日に投降。戦後、イギリスの軍事法廷で死刑判決を受けるが後に終身刑に減刑され、1952(昭和27)年に釈放されている。
部下からは「微笑みのアルベルト」と呼ばれて親しまれており、釈放後、シュタールヘルムの退役軍人会の会長に選出されているほどである。