1908(明治41)年〜1941(昭和16)年。最終階級 少佐。最終授与勲章 柏葉騎士鉄十字章。
スカパ・フロー奇襲攻撃により、イギリス戦艦「ロイヤル・オーク」を撃沈した事で一躍その名を轟かせた。
1908(明治41)年ライプチヒ生まれ。家が貧しかったため、少年の頃から人の使い走りなどをして家計を助けた。船員を夢見てハンブルクの航海学校卒業後、商船「サンフランシスコ」の航海見習いとなるが不況のあおりを受けて失業し、1932(昭和7)年にドイツ海軍に入隊する。第二次世界大戦が始まるとその能力が認められ、U47艦長に就任する。1939(昭和14)年潜水艦隊司令官デーニッツの命によりイギリス海軍の大根拠地であるオークニー諸島のスカパー・フローへ潜入し、停泊中のイギリス戦艦「ロイヤル・オーク」を撃沈した他、航空機輸送船「ペガサス」にも損害を与えている。この奇襲作戦の成功により、ドイツはもとより全世界にその名を知られることとなり、同時に尉官としては初の騎士鉄十字章を授与されている。その後も作戦航海をこなし、通算で28隻、160,939トンを撃沈し、柏葉騎士鉄十字章を授与されている。しかし1941(昭和16)年3月8日にオットー・クレッチマーのU99他と共に、OB293護送船団を追尾中にイギリス海軍の「ウォルヴェリン」に撃沈され、彼を含む乗員全員が戦死した。国民的英雄の死による士気の低下を恐れた軍は、彼の死を二ヶ月ほど公表しなかった。
彼はその少年時代の貧困さからか、あるいは他のエリート艦長と違い、商船乗りから下士官を経て艦長になった経歴からか訓練や規律に厳格で、部下との間も必ずしもしっくりとは行っていなかったようである。