テオ・オステルカンプ

読み:テオ・オステルカンプ
外語:Theo Osterkamp ドイツ語
品詞:人名,+軍人

1892(明治25)年〜1975(昭和50)年。最終階級 中将。授与勲章 プール・ラ・メリート章及び騎士鉄十字章

1892(明治25)年4月15日、ラインラント地方のデューレン生まれ。第一次世界大戦には最初、偵察機の後部機銃手として従軍していたが、1917(大正6)年から戦闘機パイロットに転向し、最終的に32機を撃墜するエースとなり、プール・ラ・メリート章を授与されている。

ドイツ敗戦後、戦闘機パイロットとして義勇軍に参加し、ロシア労農軍と戦っている。ナチス政権成立後、ドイツに空軍設立の動きが出るとそれに参画。1935(昭和10)年に空軍が正式に発足すると戦闘機パイロット育成の教導航空団司令に就任する。第二次世界大戦が勃発すると47歳という高齢であったが、前線の第51戦闘航空団司令に就任。この時の部下にはヴェルナー・メルダースアドルフ・ガーランドがおり、彼らから「オンケル・テオ(テオおじさん)」と呼ばれて親しまれた。彼はこの航空団を率いてフランス侵攻作戦やバトル・オブ・ブリテンに参加し、6機を撃墜して、両大戦でともにエースとなるという偉業を成し遂げた。この業績により1940(昭和15)年8月22日に騎士鉄十字章を授与されたが、あまりもの高齢(48歳)ゆえ、前線指揮官の若返り政策とあいまって前線から引退。第2航空艦隊の戦闘機司令官となって後方から教え子達の活躍を見守った。

戦後はガーランドとともに事業を起こしたが1966(昭和41)年に引退。1975(昭和50)年に死去している。