無条約時代を見据えたマルサン計画で計画された新戦艦時代のクラスで、日本海軍が保有した最後のクラスであると共に世界最大の戦艦のクラス。「大和」と「武蔵」の2隻(他に空母に改造された「信濃」と未着工に終わった「第百十一号艦(仮称艦名)」)がある。
主砲に列強を凌駕する46cm砲を搭載することを目論み、それにあわせて他項目を調整。結果、基準排水量64,000トン、満載排水量では70,000トンを超える巨艦になってしまった。しかし、普通に46cm砲搭載艦を造ればあと1万トンは排水量は増えるはずであり、これを建造費節約のために必死の努力であのサイズにまとめたというのが正しい。重量を最も食うのは装甲であるので、集中防御方式を徹底すると共にそもそもの全長を小さくし、代わりに安定性を増すために全幅を増した。そのため、短く太いというあまり格好の良くない船形になってしまっている。また、小型化の影響を最も受けたのは速力であった。用兵側からは当初30〜31ノットの速力が要求されていたが、排水量を抑える必要上機関出力を低くし、また、全幅が大きいため、速力27ノットと列国の新戦艦中で最低速となってしまった。このため、空母機動部隊に随伴することが出来ず、戦闘に参加する機会を与えられない結果に繋がったと言われている。しかし、27ノットでは随伴できないなどというのは全くのデマである。例えば、伊勢級は25.3ノットしか出せないが航空戦艦に改造され、比島沖海戦において空母機動部隊の一角をなしていた。ガタルカナル島への飛行場攻撃に金剛級の36cm砲で大打撃を与えれたことが分かっていたにも関わらずはるかに大ダメージを与えれる46cm砲を搭載している大和級を出さなかったことからも分かるように、大和級にはそういった任務が期待されていなかっただけのことであり、仮に30ノット以上の快速が出せたとしても経歴は対して変わらなかったであろう。金剛級が大活躍したのはその優速故ではなく、日本の戦艦の中で一番古く、従って一番弱く格も下であり、巡洋艦以下だけでは力不足なときに、もっとも気軽に利用しやすかった戦艦のクラスであったからである。
主砲は条約による制限を受けていないためメートル法で切りのいい数字、すなわち45.72cm(18インチ)ではなくて、46.0cm(18.11インチ)であった。しかし、諸外国に46cm方を搭載していることを秘匿するために「九四式四〇糎砲」と称しており、これを三連装にして3基搭載していた。三連装砲の採用は日本戦艦では初であったが、三連装砲塔は二連装にくらべ1門あたりの重量を少なくでき、また砲塔数も減るために主要防御区画長を短くして排水量を節約できるので、多連装砲化の動きは時代の流れであり、特に問題は無かった。しかし、1・3番主砲塔部は船幅が狭く、3門分の弾薬を収納するためには弾薬庫は砲弾庫1層・火薬庫2層の計3層(連装砲塔なら各1層の2層でよい)にする必要がある。このため主要防護区画の前後長は短くなるものの上下長が高くなるデメリットを生じる。実際大和では弾薬庫のスペースがぎりぎりなため舷側装甲内側の水防壁は1層だけで、魚雷を受けた際にこの水防を破られ弾火薬庫に浸水したことがある。平賀譲造船中将の主張するように、連装2基、四連装2基の異連装砲4基による10門にすれば、防御区画の前後長は伸びるものの弾薬庫は2層で済むため垂直装甲の上下長が減って重量を節減でき、三連装3基とほぼ同じ重量で1門余計に主砲を搭載可能だった。しかし、そのためには新たに砲塔を設計し直さねばならず、時間的に間に合わないとの理由により却下されてしまっている。
また、日本戦艦の射撃精度は高いといわれているが、「大和」及び「武蔵」のタウイタウイ島における射撃訓練でのデーターによると、35,000mという遠距離射撃とはいえ、主砲散布界は800〜1,000mに達している(「長門」20,000mで散布界250m程度)。大和級の特徴として大口径砲によるアウトレンジ戦法が挙げられるが、これでは命中弾は殆ど期待できず、その戦法は成り立たない。ライバルのアイオワ級と比較すると、絶対的な砲身長そのものはわずかに勝っているものの、口径ではアイオワ級の50口径に対して、45口径と劣っており、砲弾もその重量は軽く、工業水準の低さから貫徹力も低かった。加えて発射速度が1.5発/分とアイオワ級の2発/分に大きく劣っているため、単位時間あたりに送り込める鉄量ではアイオワ級に負けていた。
副砲には最上級巡洋艦が主砲を20.3cm連装砲に換装して残った、優秀との誉れ高かったかかった15.5cm三連装砲を搭載した。実戦でも、駆逐艦の撃退などで活躍ている。しかし、当然その砲には15.5cm砲弾防御しか施されていなかったが、大和級では副砲の弾薬庫が主砲の弾薬庫に隣接していたため、副砲砲塔を敵弾が貫いた際に轟沈する可能性があったため、設計上の大失態とされている。しかしこれも誤りである。他の同時期の戦艦の副砲の装甲も敵戦艦の主砲砲弾の直撃に耐えれたわけではなかった。また確かに大和級では隣接して主砲弾薬庫が存在したが大和級ではバーベットに防炎対策をとっているし、他の同時期の戦艦群も副砲弾薬庫の周囲に重要部位が存在しなかったわけではない。大和級の副砲は機銃増備対空能力の向上のため、後に半数にされたが、ここで全廃しなかったことからも、見切りの悪さを露呈している。そもそも新戦艦時代の列強の戦艦では副砲を全廃して、対艦も対空も両方に使える両用砲を搭載していたので、時代の流れからしても出遅れたものとなっていた(大和級副砲は高角でも打てたがそれだけの事でしかなかった)。
防御には、重量軽減のために徹底した集中防御方式が採用された。その結果全長に対するヴァイタルパートの長さは53.5%しか無かった。そのため大和級はその自身の排水量にも匹敵する57,450トンという非常に大きな予備浮力を持っていたが、ヴァイタルパートのみで予備浮力を保つことができず、「大和」も「武蔵」も「信濃」も結局の所これが原因で沈没してしまっている。垂直装甲には20°の傾斜を持った410mmのVH鋼が用いられていた。この傾斜装甲は八八艦隊計画における加賀級や天城級ですでに採用されていたが、両クラスが日の目を見なかったため(「赤城」「加賀」は空母に改造後完成)、完成した戦艦としては大和級がはじめてであった。大和級では安全戦闘距離を2万〜3万mという遠距離に設定されていたため、水平装甲に対して垂直装甲が薄かった。しかし、それはあくまでも対46cm砲防御での話であって、相手が40cm砲の場合は十分強固なものであった。また、より強固な垂直防御は対爆弾防御となり、爆弾では大きなダメージを受けることは無かった。
4隻が計画され、1番艦(「大和」)が呉海軍工廠、2番艦(「武蔵」)が三菱長崎造船所、3番艦(「信濃」)が横須賀海軍工廠、4番艦(「第百十一号艦(仮称艦名)」)が神戸川崎造船所で建造されることになった(後に4番艦は神戸川崎造船所のガントリークレーンが小さいことなどから、呉海軍工廠が再度担当することになった)。しかし、1番艦の「大和」が完成した時点で既に大東亜戦争は勃発してしまっており、その後の戦況の悪化にともない、3番艦「信濃」は空母に改造され、4番艦は開戦後建造は中止され、計画通り大和級戦艦として完成したのは2隻だけであった。
「大和」と「武蔵」はほとんど同一であったが、「武蔵」は「大和」での経験を生かしながら造れたことと、民間造船所が担当したことから内装などの造りが良かった。また、両艦とも戦況の変化にともない随時機銃を追備したが、最終的に「武蔵」の方が25mm機銃の数が20挺少なかった。
コラム(要目)
基準排水量 64,700トン
公試排水量 69,100トン
満載排水量 72,809トン
全長 263m
吃水線長 256m
水線間長 244m
全幅 38.9m
吃水線幅 36.9m
吃水 10.4m
主機 艦本式蒸気タービン 8基、4軸
出力 150,000馬力(後進45,000馬力)
速力 27ノット
燃料搭載量 重油 6,400トン
航続距離 16ノットで7,200海里
主砲 46cm45口径三連装砲 3基9門
他の兵装 15.5cm三連装砲 4基12門(のちに2基6門)、12.7cm連装高角砲
6基12門(「大和」は後に12基24門)、25mm三連装機銃 8基24挺
(「武蔵」は36挺。「大和」は最終時150挺、「武蔵」は最終時
130挺)、13mm連装機銃 4基8挺、カタパルト 2基
艦載機 水上機7機
装甲 水線 320mm、甲板 120mm
乗員 2,500名