第二次世界大戦末期に登場した体当たり攻撃用の有人ロケット(正式名称 特別攻撃機)。MXY7。アメリカ兵は桜花のことを "BAKA" と呼んでいた。
1944(昭和19)年8月、ロケット推進の小型有人滑空爆弾を一式陸攻に懸吊して敵艦近くまで行き、そこで母機と切り離し、後は敵艦目指して体当たりをするという案の提案が太田少尉によって空技廠に提案された。空技廠では検討の結果、前例のない構想ではあったが、発案者の名前を文字って「丸大部品」と名付けて極秘に開発に着手した。主務者は山名正夫技術中佐であったが実務は三木忠直少佐が担当。9月には第1号機を完成させた。
10月23日に投下実験が行なわれたのに続き、11月20日から翌年1月にかけて各種性能試験が行なわれた。試験が終わると直ちに生産が開始され、民間会社の協力のもと、終戦までに1技廠(1945(昭和20)年2月、空技廠から改称)で完成機155機、霞ケ浦の1空廠で約600機分の部品が完成していた。
最初の桜花部隊は1944(昭和19)年10月1日に編成された721空であり、比島決戦に参加する予定であったが、使用する桜花を運搬していた空母「信濃」と「雲龍」が共に途中で撃沈されてしまったため、中止となった。仕切り直した初陣は1945(昭和20)年3月21日の九州沖航空戦であり、16機が出撃したが、途中で米軍機からの迎撃を受け、母機諸共撃墜され、全滅してしまっている。桜花によって撃沈されたことが確実な最初の米艦船は4月12日に沈没した駆逐艦「マナート・L・エーブル」であり、同日には駆逐艦「スタンリー」他1隻にも桜花が命中している。それ以外には5月4日にも3隻に、11日に1隻に命中している。桜花部隊には前述の721空以外に722空と43型を装備する752空が編成されている。