海軍教授所

読み:かいぐんきょうじゅしょ
品詞:名詞

江戸幕府が江戸・築地に設けた海軍教育学校。

1857(安政4)年、幕府は1855(安政2)年に設立した長崎海軍伝習所の一期生が卒業すると、永井岩之丞以下第一期伝習生103名を乗せた「スンビン号(観光丸)」を江戸に回航させた。これは日本人として初めての洋式軍艦による航海であった。幕府は、前年開所した築地講武所内に海軍教授所を設置し、永井岩之丞に総督を命じ、「観光丸」を実地練習艦として、旗本、御家人、一般有志、各藩からの人材を集めて同年7月19日から、日本人教官による洋式海軍教育を開始した。教授の中にはジョン万次郎の名も見える。1859(安政6)年、勝海舟が教授方頭取となり軍艦操練所へと改称。その後も名称は軍艦所、海軍所、海軍学校へと変えられている。

二度の火災にあい、1867(慶応3)年に浜御殿(今の浜離宮)へ移った。翌年英人教頭トレシーが江戸を去ったため、伝習は名実ともに休止。

この軍艦教授所出身の著名人として新島襄や高杉晋作がいる。

築地の跡地は明治維新後、政府の管轄地となり、1869(明治2)年、海軍兵学校の前身となる海軍操練所が設置されている。