統合参謀本部 (一般)

読み:とうごうさんぼうほんぶ
外語:Joint Chiefs of Staff
品詞:団体組織名

軍間の基本的戦略の調整をはかり、軍の指揮監督権(統帥権)を有する者(国王や大統領、首相などの軍の最高指揮官あるいは国防大臣などの軍部担当長官)の最高諮問機関。JCS。

多くの国の軍隊には複数の軍種が存在する。そして、各軍は並立して軍の指揮監督権(統帥権)保持者に直隷し、その間に各軍を束ねて指揮する人間は存在しないことが多い。このため、その軍間の調整をはかり、軍の指揮監督権(統帥権)保持者や軍部担当長官に諮問する機関が必要となる。その機関のことを一般にアメリカでの組織名である「統合参謀本部」と呼ぶ。

日本において、統合参謀本部に相当する機関には戦前では大本営、戦後では統合幕僚会議がある。

統合参謀本部は各軍の代表と、いずれかの軍から出される議長から構成される。また、各軍内で統一された代表者がおらず、並立した代表者が存在する場合はその各々が出席する。この例として、日本の大本営では陸海軍大臣が参謀総長、軍令部総長に並立して大本営の構成員となっていし、アメリカの統合参謀本部でもその最初には海軍は海軍作戦部長と合衆国艦隊司令長官とが構成員であった。また、上下関係が存在し、軍を代表する存在ではなくとも軍内の有力部隊の代表者である場合は正規構成員、あるいはアドバイザーとなることがある。この例として、アメリカの統合参謀本部では空軍の独立前から陸軍航空隊司令官が構成員であったし、海兵隊司令官はアドバイザーであり後に正規構成員となった。

近代国家においては、軍の指揮監督権保持者が自ら戦場に立つことはなく、ただ国家戦略に基づいて軍に指示をするだけの存在となっている。このため、全軍の細部まで自らが統制しなくなったため、各軍が自ら調整・諮問機関を作り出す必要が出てきたわけである。それゆえ統合参謀本部は近代国家の軍ならではの組織であると言える。また、その様な国家ではシビリアン・コントロールであることが多く、軍の統括者(軍部担当長官など)はシビリアン(背広組)である。これに対となって存在するのが統合参謀本部である。このため、統合参謀本部は制服組のみで構成され、議長が存在する場合は、彼は制服組のトップとなる(しかし、あくまでもシビリアン・コントロール下での組織であるため、彼に指揮権はなく、あくまでもメンバー間での調整者及び制服組を代表して指揮監督権保持者との連絡を行なうための役職である)。

世界初の統合参謀本部は実は日本で誕生している。陸軍には1874(明治7)年に陸軍省から独立した軍令機関、参謀本部が設置されていたが、海軍では海軍省が軍令も管轄していた。そこへ陸海軍統一した統帥機関を作った方が良いのではないかという意見が出、1886(明治19)年3月、従来の参謀本部は参謀本部陸軍部となり、新たに海軍部が設けられることとなった。これが世界初の統合参謀本部である。しかし、この組織の実態は陸軍の参謀本部の中に海軍部が出来たようなものであり、甚だ陸主海従であった。この組織は海軍側の反発を押さえ込んでスタートしたものであり、強引に作られた組織が長続きするはずもなかった。2年後の1888(明治21)年5月には早くも改編が行なわれ、参謀本部長は参軍となり、陸海軍部が各々陸軍参謀本部、海軍参謀本部となった。しかし、実態には何らの変化も無かったため、1889(明治22)年3月に陸軍参謀本部は参謀本部に、海軍参謀本部は海軍参謀部となり海軍大臣の管轄下に入った。すなわちもとの鞘に戻ったわけである。こうして世界初の統合参謀本部はわずか3年で消滅してしまっている。

アメリカ軍における最初の統合参謀本部は1903(明治36)年に設置された統合会議(Joint Board)にはじまる。直前に行なわれた米西戦争の結果、アメリカ初の海外植民地であるフィリピンを持つこととなった。フィリピンは遠く太平洋の彼方に浮かぶ島であるため、その防衛には陸海軍が協同で当たらねばならない。このために、陸海軍両長官の諮問機関として設置されたのである。しかし、この統合会議は権限がはっきりしない上にフィリピンの防衛拠点をどこに置くかで陸海軍の意見が一致せず、1908(明治41)年に事実上解散してしまっているのである。