第二次世界大戦開戦日にヘルマン・ゲーリングによって制定された勲章。授与にあたっては、陸海空三軍の推薦に基づいて国防軍最高司令官であるヒトラー総統自らが決定を下すのであるが、「敵に対して際立った勇敢な行動をしたこと」が推薦の絶対条件であり、選択は極めて厳しいものがあった。
全軍を通して6,996人(陸軍4,524人、空軍1,716人、武装SS438人、海軍318人)が受章したが、ドイツ軍人は全員で約1,500万人居たので、2,250人に1人しか受章できないという高倍率であった。
空軍戦闘機パイロットの場合、撃墜機数という分かりやすい指標がある。その受章基準は大戦初期には20機であったが、対ソ戦が始まるとやがて引き上げられていき、1941(昭和16)年9月には30機、11月には40機、1942(昭和17)年8月には50機、1943(昭和18)年春には75機となり、同年秋には100機撃墜しないと受章できなくなった。しかし、西部戦線においては1941(昭和16)年秋以降平均40機という線が保たれ、本土防空部隊には四発重爆に対し、ポイント制が導入され、撃墜すれば3ポイント、撃破でも2ポイントが与えられ、合計で40ポイントに達せれば受章対象となった。
同様に潜水艦艦長の場合は、撃沈トン数の合計が10万トンが基準であった。
デザインは、外側から黒、白、赤のリボンでクビから釣り下げるように規定されていた。