A7V

読み:エイななヴィー
外語:A7V 英語
品詞:固有名詞

第一次世界大戦におけるドイツの戦車。"A7V" とは「戦時省運輸担当第7課(Abteilung 7 (Verkehr) des Allgemeinenbzew. TruppenDepartmentsdes Kriegsministeriums)」の頭文字を採ったものである。

ドイツでも戦車の開発が行なわれていなかったわけではなかったが、もたもたしているうちにイギリス軍のマークI戦車が1916(大正5)年9月のソンム戦に登場。これを受けてそれを凌ぐ戦車の開発が急務となった。11月13日、A7Vの素となる全地形装甲車(Gelndespanzerwagen)開発に関する最初の契約が結ばれ、12月22日には開発予算も認められた。

開発にはイギリスやフランスも参考にしたホルト・トラクターをベースにすることとなった。設計主任はヨセフ・フォルマー技師で、アドバイザーとしてホルト・トラクターのドイツ国内代理人であったヘール・シュタイナーが呼び出された。

軍から出された要求は重量30t。100馬力のエンジンを搭載して整地上で12km/h、不整地上で6km/h。前後に砲を装備し、側面に機関銃を装備する事となっていた。しかし、ホルト・トラクターは不整地走行能力が低く、要求を満たせなかったので、フォルマーは全長を延長し、サスペンションを改良することで対処した。

試作車輌は1917(大正6)年4月に走行試験を行なった。また5月14日には木製のモックアップが参謀本部の代表団の視察を受けた。それらの結果、設計案は承認され、突撃車両(Sturmpanzerwagen) A7Vとして制式化された。

A7Vの生産はベルリンのダイムラー社で行なうことになった。最初の完成車体が軍に納入されたのは1917(大正6)年9月で、武装まで装備した完全装備車体の納入は10月1日であった。初の戦車ということもあってまだまだ多くの欠陥があったが、戦況はその改修の時間を与えなかった。12月1日、100両の生産発注が行なわれた。しかし、ダイムラー社の生産能力は月産5両が限界で、休戦までに完成したのは35両以下(一説には20両前後)でしかなかった。

A7Vが投入された最初の戦闘は1918(大正7)年3月13日のセント・クエンチンの戦いであった。しかし、戦車が果した役割は大きくなく、歩兵の士気を高めるという効果があっただけとの資料もある。