GHQ (狭義)

読み:ジーエイチキュー
外語:GHQ: General HeadQuarters of the supreme commander for the allied powers
品詞:団体組織名,@組織

連合国最高司令官総司令部。1945(昭和20)年8月15日の日本無条件降伏から1952(昭和27)年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効まで、日本を占領・統治していた組織。最高司令官は1951(昭和26)年4月11日までダグラス・マッカーサー元帥であり、その後はリッジウェイ大将。本部は開設当初は横浜であったが、9月15日より東京日比谷の第一生命相互ビルに移転した。

第二次世界大戦終結後、アメリカ政府は統合参謀本部指令で設置を決定し太平洋陸軍総司令官のマッカーサー元帥を最高司令官に任命した。そのためアメリカ太平洋陸軍総司令部の機構が転用されるという二重構造であった。機構として主に軍事面を担当するG1〜G4までの参謀部と民政局や経済科学局・公衆衛生福祉局などからなる幕僚部などからなり、極東国際軍事裁判所も付置された。幾度の改編があったが最盛期には約6,000人、平常時で約2,000人のスタッフが居たとされる。この中でも情報・公安・検閲などを担当するG2と占領行政を担当する民政局が有力であり、両者はしばしば対立した。行政スタッフにはニューディール派の流れを汲む進歩主義者も多数おり、彼らの理想を実現しようと二代目局長ホイットニーを中心に民主化を推進したが、冷戦の開始と共に反共の立場からG2の発言権が強化され、G2のウィロビーらと対立し、日本の政治勢力にも影響、公職追放・昭電疑獄などにも関わった。

当初はアメリカ政府の訓令によって占領管理を行なっていたが、1945(昭和20)年10月に11ヶ国による極東諮問委員会を設け、占領政策について勧告を行なわせることにした。しかしソ連が参加しないため機能せずに終わり同年12月モスクワで行なわれた米英蘇外相会談で極東委員会と対日理事会の設置が決まった。極東委員会は11ヶ国(後に13ヶ国)で構成され、軍事・領土以外の占領政策についての最高機関であり、その決定をアメリカ政府が具体化して最高司令官に訓令、最高司令官が日本に対して指令するという構図であった。米英蘇中に拒否権があったがアメリカは中間指令を出す権限を有し、実際にはアメリカの決定によって占領が行なわれた。対日理事会は米蘇中英連邦の代表から構成され、最高司令官と協議し助言を与えることを任務として、当初は農地改革などで提言を行なっていたが冷戦の中で形骸化、マッカーサーがその存在をきらったこともあり、有名無実化した。

連合国最高司令官マッカーサーは、1950(昭和25)年朝鮮戦争の国連軍最高司令官兼ねていたが、中国本土爆撃など強攻策を唱えたためトルーマンにより連合国最高司令官共々解任された。当時の日本人はマッカーサーより偉い人がいるのかと仰天したものである。また去り行く占領者を惜しむなどは占領の歴史を紐解いても珍しいことだろう。