第百二十二代天皇陛下。
- 御名 ‐ 睦仁(むつひと)
- 続柄 ‐ 孝明天皇第二皇男子
- 母神 ‐ 中山慶子 (側室)
- 誕生 ‐ 1852年11月3日(嘉永5年9月22日)
- お印 ‐ (不明または無し)
関連する時代背景等も含む。
江戸城(東京城)
- 慶応 (〜1868年1月24日(慶応3年12月30日))
- 明治 (1868年1月25日(慶応4年1月1日)〜)
父神は孝明天皇(統仁天皇)、母神は中山慶子(仁孝天皇の側室)。
皇后は一条美子(一条勝子が結婚に際し改名、後の昭憲皇太后)。
しかし皇后は病弱であり、実子はない。このままでは皇統の危機であるので、明治天皇には多数の側室が付けられた。現在知られているのは次の五柱である。
この五柱の側室より15柱の子があったと伝えられている。
皇子は死産(流産?)した者も含め15柱おられるが、殆どみなが夭折しており、成年に達したのは僅か五柱、うち親王は後の大正天皇ただ一柱だった。
- 稚瑞照彦尊 (1873(明治6)年9月、死産)
- 稚高依姫尊 (1873(明治6)年11月、死産)
- 梅宮薫子内親王 (1875(明治8)年1月生、翌年6月薨去)
- 建宮敬仁親王 (1877(明治10)年9月生、翌年7月薨去)
- 明宮嘉仁親王 (1879(明治12)年8月生、大正天皇)
- 韶子内親王 (1881(明治14)年8月生、3歳で薨去)
- 章子内親王 (1883(明治16)年1月生、9月薨去)
- 静子内親王 (1886(明治19)年2月生、翌年4月薨去)
- 猷仁親王 (1887(明治20)年8月生、翌年5月薨去)
- 常宮昌子内親王 (1888(明治21)年9月生、1908(明治41)年竹田宮恒久王と結婚)
- 周宮房子内親王 (1890(明治23)年1月生、1909(明治42)年皆川宮成久王と結婚)
- 富美宮允子内親王 (1891(明治24)年8月生、1910(明治43)年朝香宮鳩彦王と結婚)
- 輝仁親王 (1893(明治26)年11月生、翌年8月薨去)
- 泰宮聰子内親王 (1896(明治29)年5月生、1915(大正4)年東久邇宮稔彦王と結婚)
- 多喜子内親王 (1906(明治39)年9月生、翌年1月薨去)
このうち明宮嘉仁親王が後に天皇に即位する。
明治天皇 | (父)孝明天皇 | (祖父)仁孝天皇 | (曾祖父)光格天皇 |
(曾祖母)勸修寺〓子 |
(祖母)正親町雅子 | (曾祖父)正親町実光 |
(曾祖母)四辻千栄 |
(母)中山慶子 (側室) | (祖父)中山忠能 | (曾祖父)中山忠頼 |
(曾祖母)三条綱子 |
(祖母)松浦愛子 | (曾祖父)松浦清 |
(曾祖母)〓年 |
陵墓は伏見桃山陵(みささぎ)。場所は京都府京都市伏見区桃山町古城山。最寄り駅は桃山南口(京阪宇治線)。
また、明治天皇陵墓のすぐ東には、皇后である昭憲皇太后伏見桃山東陵がある。
明治天皇と昭憲皇太后を祀る神社には明治神宮があり、その他にも明治天皇を祀る神社は複数ある/あった。
- 1920(大正9)年11月1日: 明治神宮(東京都渋谷区代々木)創建
- 1925(大正14)年10月15日: 朝鮮神宮(日本統治時代の京城(ソウル)、廃社)創建
- 1964(昭和39)年: 北海道神宮(北海道石狩振興局管内札幌市中央区)に祀られる
- ?年: 関東神宮(満州国関東州、廃社)創建
海外の神社では、天照大神や明治天皇を祀ることが多いようだ。
また、全ての天皇は宮中三殿の一つ、皇霊殿に祀られている。
明治天皇は酒を嗜んでいたとされる。また皇后は煙管で煙草を愛飲したとされる。
践祚して天皇に即位した後、即位の礼をする間もなく激動の時代に突入した。
明治天皇は大日本帝国憲法を受け入れ、立憲君主となった。以降は政治に直接関与することはなくなった。それこそ江戸時代には来襲する黒船に何の対抗も出来ない弱小国だった日本だが、帝国議会により国民皆兵の富国強兵政策が導入され、やがて世界の列強と戦えるまでの強国となった。
このような時代に君臨した名君は、その聖徳から今も多くの崇敬を集め、明治天皇を祀る明治神宮は初詣参拝者として、毎年、全国神社中日本一となっている。
121 孝明天皇 ‐ 122 明治天皇 ‐ 123 大正天皇
用語の所属

神道

天皇
関連する用語

明治期

明治神宮

明治通り (通称)

栗子道路