靖国神社を取り巻く、さまざまな政治問題のこと。
靖国神社は「国体護持のための神社」だったため、戦後は常に、国体破壊を目論む者からの攻撃対象となってきた。
攻撃しているのは、基本的には支那と朝鮮のみである。そして、それらをスポンサーにしている日本のほぼ全てのマスメディアが、平然と靖国を攻撃している。
元々、支那共産党(支共)は靖国神社には興味が無かった。対日攻撃については、別の案があったからである。
しかし朝日新聞が炊き付け、日本攻撃に有効と判断した支共が尻馬に乗って騒ぐようになった。これが靖国問題の発端である。また朝鮮が騒ぐのは、支共の真似をしているだけで、深い理由は無い。
事実、支那・朝鮮は、1985(昭和60)年の中曽根首相参拝まで、靖国参拝を問題としていなかった。
そして支共が靖国問題を本格的に取り上げ始めたのは、1989(平成元)年の天安門事件発生以降である。人民の鬱憤を外(日本)に向ける「ガス抜き」の意味があった。
靖国問題前
停戦〜GHQ統治下
- 1945(昭和20)年8月14日: 大東亜戦争停戦(ポツダム宣言受諾)
- 1945(昭和20)年8月15日: 昭和天皇の玉音放送
- 1945(昭和20)年8月16日: 軍への停戦命令
- 1945(昭和20)年11月20日: 臨時大招魂祭、昭和天皇の靖国神社行幸
- 1946(昭和21)年4月28日: いわゆるA級戦犯容疑者28名の起訴状発表
- 1946(昭和21)年5月3日: 特別法廷(旧陸軍士官学校大講堂)にて極東国際軍事裁判(東京裁判)開廷
- 1948(昭和23)年4月16日: 極東国際軍事裁判(東京裁判)の審理終了
- 1948(昭和23)年11月12日: 極東国際軍事裁判(東京裁判)判決(死刑7名、無期禁固16名、有期禁固2名、免訴3名)
- 1948(昭和23)年12月23日: 東條英機ほか7名、巣鴨プリズン刑場で絞首刑(死刑執行)
- 1948(昭和23)年12月24日: いわゆるA級戦犯容疑者17名釈放、裁判終了をGHQが発表
主権回復後(名誉回復まで)
- 1952(昭和27)年4月28日: サンフランシスコ講和条約発効、日本の主権回復
- 1952(昭和27)年6月9日: 戦犯在所者の釈放等に関する決議 (第13回国会 参議院本会議)
- 1952(昭和27)年10月16日: 昭和天皇の靖国神社行幸 (戦後初、神道指令後初)
- 1952(昭和27)年12月9日: 戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議 (第15回国会 衆議院本会議)
- 1953(昭和28)年8月3日: 戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議 (第16回国会 衆議院本会議)
ここで、いわゆる「戦犯」は名誉回復、「法務死」扱いとなる。
名誉回復後
- 1954(昭和29)年10月19日: 昭和天皇の靖国神社行幸(臨時大招魂祭) (戦後2回目)
- 1955(昭和30)年7月19日: 戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議 (第22回国会 衆議院本会議)
- 1956(昭和31)年4月19日: 厚生省引揚援護局「靖国神社合祀事務協力について」とする通知を発する
- 1957(昭和32)年4月23日: 昭和天皇の靖国神社行幸(春季例大祭) (戦後3回目)
- 1958(昭和33)年12月: 全ての戦犯受刑者が釈放される
- 1959(昭和34)年4月6日: 旧BC級法務死者346柱、靖国神社へ合祀
- 1959(昭和34)年4月8日: 昭和天皇の靖国神社行幸(臨時大招魂祭) (戦後4回目)
- 1959(昭和34)年10月17日: 旧BC級法務死者479柱、靖国神社へ合祀
- 1965(昭和40)年10月19日: 昭和天皇の靖国神社行幸(臨時大招魂祭) (戦後5回目)
- 1967(昭和42)年10月18日: 戦争裁判法務死者114柱、靖国神社へ合祀
- 1969(昭和44)年10月20日: 昭和天皇の靖国神社行幸(創立100年記念大祭) (戦後6回目)
靖国問題後
問題化準備中
朝日新聞が火の無い所に放火するまで。
- 1975(昭和50)年8月15日: 三木武夫首相参拝、首相として初めて「私的参拝」と発言し憲法論議を起こす。
- 以降、朝日新聞等のサヨク媒体がこぞって「私的・公的」「玉串料支払」等を問題化させた。
- 1975(昭和50)年11月20日: 日本社会党、天皇陛下の行幸の「公私」に難癖を付ける。
- 1975(昭和50)年11月21日: 昭和天皇の靖国神社行幸 (戦後7回目)
- 日本社会党の噛みつきにも関わらず、御行幸。
- しかし以降、憲法問題により天皇の参拝が不可能になり、結果としてこれが最後となった。
- 1978(昭和53)年10月17日: 旧A級法務死者(死刑7柱、獄死7柱)を昭和殉難者として靖国神社に合祀
- 1978(昭和53)年10月23日: 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約(日中平和友好条約)締結
- (1979(昭和54)年〜1984(昭和59)年夏): この間、大平正芳(3回)、鈴木善幸(9回)、中曽根康弘(5回)が参拝
- 1984(昭和59)年8月15日: 中曽根首相靖国参拝、「戦後の総決算」を標榜する。
問題化後、天安門事件まで
- 1985(昭和60)年8月7日: 朝日新聞、靖国参拝を「中国は厳しい視線で凝視している」と掲載
- 1985(昭和60)年8月11日: 中国共産党機関紙 人民日報、朝日新聞を引用して反靖国運動を開始
- 1985(昭和60)年8月14日: 支共外務省「アジア各国人民の感情を傷つける」として参拝に反対、内政干渉開始
- 1985(昭和60)年8月15日: 中曽根康弘首相、首相になってから10回目の参拝。
- 1985(昭和60)年8月15日: 戦後40周年。支共が南京に「南京大虐殺記念館」設立
- 1989(昭和64)年1月7日: 昭和天皇崩御
- 1989(平成元)年6月4日: 天安門事件発生
これ以降、支共政府は反日を更に強める。
天安門事件以降
- 1996(平成8)年7月29日: 橋本龍太郎首相、支共抗議後初の参拝。
支共政府からの猛抗議で、以降の参拝は断念する。
- 2001(平成13)年8月13日: 小泉純一郎首相の参拝 (首相になってから1回目)
- 2002(平成14)年4月21日: 小泉純一郎首相の参拝 (首相になってから2回目)
- 2003(平成15)年1月14日: 小泉純一郎首相の参拝 (首相になってから3回目)
- 2004(平成16)年1月1日: 小泉純一郎首相の参拝 (首相になってから4回目)
- 2005(平成17)年10月17日: 小泉純一郎首相の参拝 (首相になってから5回目)
- 2006(平成18)年7月20日: 日経新聞が富田メモ捏造報道事件を起こす
- 2006(平成18)年8月15日: 小泉純一郎首相の参拝 (首相になってから6回目)
行幸沿革
天皇陛下の行幸があれば、英霊の方々にとっても大変な喜びとなろうことは自明である。
戦後(1952(昭和27)年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効以降)だけでも、7回の行幸があった。GHQ統治下の1回を含めれば8回である。
- 1945(昭和20)年11月20日 (GHQ統治下)
- 1952(昭和27)年10月16日 (以下、主権回復後)
- 1954(昭和29)年10月19日
- 1957(昭和32)年4月23日
- 1959(昭和34)年4月8日
- 1965(昭和40)年10月19日
- 1969(昭和44)年10月20日
- 1975(昭和50)年11月21日
憲法問題以降
1975(昭和50)年8月15日に三木武夫首相が参拝する。しかし首相は朝日新聞などの攻撃の前に屈し、首相として初めて「私的参拝」と発言して憲法論議を起こした。以降、朝日新聞などサヨクが、「私的・公的」「玉串料支払」等を問題化させた。
1975(昭和50)年11月20日には、日本社会党(現在の民主党)が天皇陛下の行幸の「公私」に難癖を付けた。その翌日1975(昭和50)年11月21日、昭和天皇皇后両陛下は社会党の噛み付きを無視して靖国神社を行幸するが、結局憲法問題により天皇の参拝が不可能になり、結果としてこれが最後の行幸となった。
以降、春秋の例大祭には代わりに勅使(天皇の御名代)が参向しており、現在に至るまで一度も欠かしていない。
意義
神社には国家のために散った方々が祀られている。彼らを徴兵などしたのは政府である以上、政府には彼らを弔う義務があり、もって総理大臣が正装で参拝すべき神社とされる。
神社なので、基本的には4月の春季例大祭と10月の秋季例大祭に参拝するのが一般的である。加えて、「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」である8月15日に参拝すると更に良いとされる。
歴代総理の靖国神社参拝
戦後、歴代総理の靖国神社参拝実績(14総理)は次のとおり。
強調されている日付は、支那や朝鮮からクレームが入った参拝を表わす。
- 東久邇宮稔彦王(1回)
- 1945(昭和20)年8月18日
- 幣原喜重郎(2回)
- 1945(昭和20)年10月23日
- 1945(昭和20)年11月20日
- 吉田茂(5回)
- 1951(昭和26)年10月18日
- 1952(昭和27)年10月17日
- 1953(昭和28)年4月23日
- 1953(昭和28)年10月24日
- 1954(昭和29)年4月24日
- 岸信介(2回)
- 1957(昭和32)年4月24日
- 1958(昭和33)年10月21日
- 池田勇人(5回)
- 1960(昭和35)年10月10日
- 1961(昭和36)年6月18日
- 1961(昭和36)年11月15日
- 1962(昭和37)年11月4日
- 1963(昭和38)年9月22日
- 佐藤栄作(11回)
- 1965(昭和40)年4月21日
- 1966(昭和41)年4月21日
- 1967(昭和42)年4月22日
- 1968(昭和43)年4月23日
- 1969(昭和44)年4月22日
- 1969(昭和44)年10月18日
- 1970(昭和45)年4月22日
- 1970(昭和45)年10月17日
- 1971(昭和46)年4月22日
- 1971(昭和46)年10月19日
- 1972(昭和47)年4月22日
- 田中角榮(5回)
- 1972(昭和47)年7月8日
- 1973(昭和48)年4月23日
- 1973(昭和48)年10月18日
- 1974(昭和49)年4月23日
- 1974(昭和49)年10月19日
- 三木武夫(3回)
- 1975(昭和50)年4月22日
- 1975(昭和50)年8月15日
- 1976(昭和51)年10月18日
- 福田赳夫(4回)
- 1977(昭和52)年4月21日
- 1978(昭和53)年4月21日
- 1978(昭和53)年8月15日
- 1978(昭和53)年10月18日
- 大平正芳(3回)
- 1979(昭和54)年4月21日
- 1979(昭和54)年10月18日
- 1980(昭和55)年4月21日
- 鈴木善幸(9回)
- 1980(昭和55)年8月15日
- 1980(昭和55)年10月18日
- 1980(昭和55)年11月21日
- 1981(昭和56)年4月21日
- 1981(昭和56)年8月15日
- 1981(昭和56)年10月17日
- 1982(昭和57)年4月21日
- 1982(昭和57)年8月15日
- 1982(昭和57)年10月18日
- 中曽根康弘(10回)
- 1983(昭和58)年4月21日
- 1983(昭和58)年8月15日
- 1983(昭和58)年10月18日
- 1984(昭和59)年1月5日
- 1984(昭和59)年4月21日
- 1984(昭和59)年8月15日
- 1984(昭和59)年10月18日
- 1985(昭和60)年1月21日
- 1985(昭和60)年4月22日
- 橋本龍太郎(1回)
- 1996(平成8)年7月29日
- 小泉純一郎(6回)
- 2001(平成13)年8月13日
- 2002(平成14)年4月21日
- 2003(平成15)年1月14日
- 2004(平成16)年1月1日
- 2005(平成17)年10月17日
- 2006(平成18)年8月15日
- 安倍晋三(1回)
- 2013(平成25)年12月26日
このうち、8月15日に参拝した実績は次の9回、5総理である。
- 1975(昭和50)年 (三木武夫)
- 1978(昭和53)年 (福田赳夫)
- 1980(昭和55)年 (鈴木善幸)
- 1981(昭和56)年 (鈴木善幸)
- 1982(昭和57)年 (鈴木善幸)
- 1983(昭和58)年 (中曽根康弘)
- 1984(昭和59)年 (中曽根康弘)
- 1985(昭和60)年 (中曽根康弘)
- 2006(平成18)年 (小泉純一郎)
靖国神社参拝をしていない総理
戦後、歴代総理31名の中で靖国神社参拝をしていない者は次の18名。任期を併記する。
関連するリンク
靖国神社
関連する用語

靖国神社

護国神社