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豊田市
辞書:国土用語の基礎知識 日本地理編 (EGJP)
読み:とよた-し
外語:Toyota City
品詞:市

愛知県豊田市。愛知県のほぼ中央に位置する市。国内最大の自動車製造会社トヨタ自動車の企業城下町であることから、1959(昭和34)年1月1日に、挙母市(ころもし)から改名されこの名が付いた。1998(平成10)年に中核市となった。

地域は東海地方、地方公共団体コード(市区町村コード)は23211-4、陸域総面積290.12km2、人口361,293人・総世帯数134,711世帯(2005(平成17)年1月1日現在)、市役所は豊田市西町3丁目60番地。市花は向日葵(ひまわり)、市木は欅(けやき)、市鳥・市獣・市魚の指定はない。市歌は不明。

〒471-0826。電話の市外局番は0565。

略史: 市内には旧石器時代からの遺跡が残り、2万年以上前から人の生活があったことが知られている。時は流れ戦国時代となると、この地域では松平氏(後の徳川氏)、鈴木氏、三宅氏ら土豪が勢力競いをするようになった。特に豊田市域は今川・織田・松平の3者が接し、熾烈な争いが続けられた。今も彼ら武将が戦いの拠点とした城趾が多数残されている。江戸時代になると藩や領が入り乱れたが、やがて挙母藩となり、城下町として繁栄した。

明治から昭和初期にかけては、蚕糸、綿糸(ガラ紡)、陶土・石粉生産(トロミル)、ダルマ窯による製瓦などにより近代化をむかえた。中でも養蚕の町だった挙母町が発展を遂げたが、昭和に入ると生糸の需要も陰りをみせた。時を同じくし、豊田自動織機製作所が新設した自動車製造部門は工場用地を探していたが、これを知った当時の町長が町の繁栄を取り戻すべく工場を誘致、やがて1938(昭和13)年トヨタ自動車工業株式会社(現・トヨタ自動車株式会社)の挙母工場が論地ヶ原(現・トヨタ町)に完成した。これが豊田市にとって一大転機となった。

戦後の1951(昭和26)年3月1日、挙母町は戦前よりの待望だった市制施行により挙母市となった。しかし挙母市という市名が読みにくいことや、市自体が工場誘致奨励条例によって自動車関連工場の都市となったことから市民より市名の改名が持ち上がった。挙母市はトヨタと共に発展した都市であることからトヨタに敬意を表し、かつ由緒ある挙母の名前を捨ててでもトヨタと一蓮托生の道を歩む、との思いから、トヨタ自動車の社名を冠して市名とし、本社所在地に "豊田市トヨタ町一番地" という番地を提供したのであった。挙母市はなくなったが、しかし今も市内の町名(挙母町・上挙母)や駅名(上挙母)その他に、挙母の名は残されている。

企業名が町域名となっている場所は少なくないが、自治体の名前まで企業名に変えたところは、豊田市以外には小野田セメント(現在の太平洋セメント)から付けられた山口県山陽小野田市くらいしかなく、極めて稀な例である。

隣接する自治体は、北が瀬戸市、岐阜県土岐市、瑞浪市、恵那市、東が下伊那郡根羽村、南が愛知県北設楽郡設楽町、新城市、岡崎市、安城市、知立市、西が刈谷市、みよし市、日進市、長久手市、である。

市内を走る道路は、国道153号、国道155号、国道248号、国道301号、国道419号、衣浦豊田道路、東名高速道路伊勢湾岸自動車道、国道475号東海環状自動車道(建設中)、猿投グリーンロード([主要地方道]愛知県道6号力石名古屋線)。

市内を走る鉄道は、名古屋鉄道(名鉄豊田線・名鉄三河線)、愛知環状鉄道

リンク
関連するリンク
豊田市役所
周辺地図
地名の所属
中核市
東海地方
市を走る道路
東名高速道路
伊勢湾岸自動車道
東海環状自動車道
市を走る鉄道
名古屋鉄道
愛知環状鉄道
拠点とする企業
トヨタ自動車
存在する町域
トヨタ町

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