竹島

読み:たけしま
外語:Takeshima 英語 , 죽도 朝鮮語
品詞:その他地名

島根県にある島の一つで、国境の島の一つ。いわゆる竹島問題の中心となる島。

島根県隠岐郡隠岐の島町竹島 官有無番地(旧・隠岐郡五箇村竹島 官有無番地)。

日本海に浮かぶ島で、島根県松江から北に約70kmの隠岐から、更に北西に約157kmの距離にある。

基本情報

一般情報

  • 地域: 中国地方、隠岐
  • 位置外部リンク: 北緯37°14′、東経131°52′
  • 総面積: 230,967m² (東京ドームの約5倍)
  • 人口: 0人 (不法占拠の朝鮮人を除く)

通信

日本からすれば無人島扱いなので郵便番号は特にないが、強いて言えば685-0300。但し、所轄となる西郷郵便局としては685-0300地域への集配業務は行なっていないので、郵便以外の方法を取る必要がある。

竹島を含む隠岐郡隠岐の島町の電話番号は08512-(2〜9)-XXXXであるが、竹島での電話の存在は知られていない。

観光

現在は、南鮮により不法に武装占拠されており、容易には近付くことができない。

不用意に近付けば朝鮮人に発砲され、射殺されるだろう。

地勢

東島(朝鮮名は女島)と西島(朝鮮名は男島)の二つの主島と多数の岩礁からなる。

日本領への編入

竹島は1905(明治38)年に閣議で日本領である事を再確認し、島根県知事により同年2月22日に公示された島根県告示第40号により、竹島は島根県に編入された。実際にはそれ以前より領有を続けていた。

現在、島根県の条例、竹島の日を定める条例により2月22日は竹島の日という記念日になっている。

なお、現在も竹島は日本国の国有地である。

略史

政治的な事項については竹島問題に詳細を記述する。

  • 1618(元和4)年: 伯耆藩の大谷、村川両家が幕府から鬱陵島を拝領し、漁業を行なう
  • 1696(元禄9)年: 朝鮮との漁業交渉により、幕府は鬱陵島への渡航を禁止(竹島一件)
  • 1779(安永8)年: 長久保赤水の「改正日本輿地路程全図」に竹島の位置が正確に記される
  • 1849(嘉永2)年: フランスの捕鯨船リアンクール号が竹島を発見、リアンクール岩礁と命名する。以降、日本では「りゃんこ島」とも呼ばれるように。
  • 1905(明治38)年2月22日: 竹島を島根県に編入、日本領であることを再確認。
  • 1952(昭和27)年: 南鮮が李承晩ラインを引き、竹島の不法占拠を開始
  • 1954(昭和29)年7月頃: 南鮮、韓国警備隊員(警察)を常駐、不法占拠強化
  • 1954(昭和29)年9月: 日本、竹島問題を国際司法裁判所(ICJ)へ提訴を南鮮に提案、南鮮は拒否
  • 1962(昭和37)年3月: 日本、再度ICJ提訴の件を南鮮に提案、南鮮は拒否
  • 1978(昭和53)年: 日本、竹島周辺海底に「対馬海盆」と命名、国連に登録
  • 1997(平成9)年11月: 南鮮、竹島に500t級船舶が利用可能な接岸施設を完工
  • 1998(平成10)年12月: 南鮮、竹島に有人灯台を完工
  • 1999(平成11)年 南鮮、天然記念物第336号に指定
  • 2000(平成12)年4月7日: 南鮮、「鬱陵郡鬱陵邑独島里山1〜山37番地」という新住所を与える
  • 2002(平成14)年8月12日: 南鮮、2004(平成16)年を目処に竹島を国立公園にする旨発表
  • 2003(平成15)年2月17日: 南鮮が竹島に郵便番号799-805を割り振る
  • 2004(平成16)年12月26日: 南鮮、竹島などを国立公園にする事を当面見送る旨発表
  • 2006(平成18)年4月: 日本、竹島周辺海底地形調査実施計画、南鮮と抗争 (詳細後述)
  • 2006(平成18)年5月12日: 日本、1954(昭和29)年以降の南鮮による占拠は不法占拠とする答弁書を閣議決定
  • 2006(平成18)年5月25日: 南鮮、竹島に統一地方選挙の不在者投票所を設置
  • 2006(平成18)年6月12日〜13日: 日鮮排他的経済水域(EEZ)境界画定交渉、決裂
  • 2006(平成18)年6月21日〜23日: 南鮮、ドイツ・海底地形名称小委員会への朝鮮名地名の提案を断念
  • 2006(平成18)年6月〜7月: 南鮮、竹島周辺海域海流調査 (詳細後述)
  • 2006(平成18)年8月27日: 南鮮、10月に再び竹島周辺海域調査の旨公表
  • 2007(平成19)年2月14日: 南鮮、竹島に10世帯20人が暮らせる村造成を発表
  • 2007(平成19)年2月22日: 在南鮮米人、Gerry Bevers(ジェリー・ビーバース)氏、南鮮の主張を覆す研究発表

歴史の中の竹島

この島は、古くから日本では「竹島松島之図」などで島の詳細が描かれていて、古くは「松島」の名で知られていた。

対する南鮮では15〜16世紀頃の古文献に「于山島」又は「三峰島」という名で竹島の記述があるため南鮮領だと主張しているが、それが竹島(独島)であることを実証できる積極的根拠がない。

南鮮は20世紀に入るまで正確かつ詳細な竹島の地図を持たなかったのが真実で、これは島を実効支配していた日本と、支配経験が全く無い南鮮との違いを表わしている。

鬱陵島と松島

現在南鮮が資料を元に唱える独島(竹島)は、実は鬱陵島(ウルルン=南鮮領)と考えられる。

江戸時代、李氏朝鮮の政策でウルルン島は無人島だった。その島に日本人が移り住み、日本人は現在の鬱陵島に竹島と命名した。

しかし、日本人はそのうち朝鮮人にむりやり追い出されてしまう。その日本人は相当悔しかったらしく、竹島に向かう途中の日本固有の領土である松島を竹島と改名し、朝鮮に余計な誤解を与える種をまいてしまったのである。

そして現在、南鮮は鬱陵島(旧竹島)と今の竹島(旧松島)を勘違い(?)して占領してしまったのであった。

国際司法裁判所へ提訴

日本国政府は1954(昭和29)年、紛争の平和的解決のために国際司法裁判所への提訴を提案する。

もし南鮮側に正当な自国領土という自信があるなら国際司法裁判所で決着を付けるべきだが、南鮮政府が集めた資料でさえデタラメという現状から、国際法廷の場から未だに逃げ続けている。

2006(平成18)年4月18日には遂に国連に、国際裁判所に持ち込まれることを防ぐための宣言書を提出したことが20日になり明らかとなっている。

つまり、逃げたわけである。