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辞書:科学用語の基礎知識 生物名・動物編 (BBNA)
読み:トキ
外語:Japanese crested ibis
品詞:名詞

学名ニッポニア・ニッポン(Nipponia nippon)で知られる鳥。但し、日本の国鳥ではない。朱鷺、桃花鳥とも。特別天然記念物、および国際保護鳥。

目次
情報
分類

最近の分類法では、次のように分類される。

生息範囲

かつては、日本全域および支那大陸の極東に広く分布していた。

乱獲や開発などにより個体数を減らし、日本からは絶滅した。

現存するのは、支那産の鴇の子孫のみである。

特徴
体格等

体長約75cm、翼長約40cm、翼開長約140cm、体重1.6kg〜2.0kg。

全身が白色の羽毛に被われ、後頭部に白色の冠羽を持つ。顔と脚は赤色で、下向きに湾曲する長い嘴(くちばし)を持ち、蛙、鰌(ドジョウ)などの小魚、昆虫など、水田にいる小動物を獲って食べる。

翼や尾羽などの「裏側」は淡い独特の淡橙赤色を呈し、桃色(鴇色)に見えることから、日本書紀には桃花鳥として登場する。但し、鴇を上から見ると灰色であり、あまり美しくない。

害鳥

かつては日本中におり、日本を代表する鳥だったが、そもそも鴇は「害鳥」だった。鴇は、田の虫を取ってはくれたが、体が大きすぎるため稲を倒してしまうのである。

明治期になると狩猟の対象となり乱獲され、また農薬による餌の減少などで激減した。昭和になると自然破壊などの環境悪化も加わり、絶滅の危機となった。

そして1981(昭和56)年2月、佐渡にいた最後の野生種5羽は人工増殖のために捕獲され、遂に野生の鴇は日本の空から消えた。

学名の由来

学名Nipponia nipponはいずれも日本を意味するが、最初からこのように命名されたわけではない。

当時ライデン博物館の館長だったオランダのテミンクが研究し、Ibis nipponという学名をつけ1835(天保6)年に発表した。

1853(嘉永6)年ライエンバッハにより新たにトキ属(Nipponia)が作られ、その後、トキ属トキ(Nipponia nippon)として呼ばれるようになった。

またかつては、コウノトリ目トキ科とされてきたが、現在はペリカン目トキ科に分類されている。

人工繁殖
鴇の飼育

日本鴇
名称生存期間剥製保存施設
ハル1953/03〜1954/02国立科学博物館(上野)
カズ1965/07〜1966/03新潟大学
フク1965/12〜1968/03新潟県立自然科学館
ヒロ1967/06〜1968/02佐渡市新穂歴史民俗資料館
フミ1967/06〜1968/08上野動物園
キン1968/03〜2003/10佐渡トキ保護センター
ノリ(能里)1971/01〜1972/03石川県立郷土資料館
キイロ1981/01〜1981/06国立科学博物館(上野)
アカ1981/01〜1981/07新潟県立自然科学館
シロ1981/01〜1983/04国立科学博物館(上野)
アオ1981/01〜1986/06両津郷土博物館
ミドリ1986/01〜1995/04佐渡トキ保護センター

日本鴇の絶滅

捕獲された鴇は新穂村(現・佐渡市)の佐渡トキ保護センターで飼育され人工繁殖を試みたが、最終的には失敗した。

日本生まれの鴇としては最後の雄だったミドリが1995(平成7)年4月30日に死亡し、繁殖不能の国産種絶滅が確定する。

そして最後の日本の鴇キン(推定36歳・雌)が2003(平成15)年10月10日06:30(9日@937)頃、飛び上がった際に飼育室のゲージに頭をぶつけ、頭部挫傷で死亡した。

この瞬間、日本を象徴するニッポニア・ニッポンの学名を持つ日本鴇は絶滅、地球上から姿を消したのである。


日本鴇の遺伝子と剥製

ミドリは死亡後、東京で生殖細胞の冷凍保存などが施された後に剥製となった。細胞は国立環境研究所(茨城県つくば市)で保存されている。同年9月に佐渡トキ保護センターに戻された後、12月5日から一般公開が開始された。

キンの細胞と遺伝子も同様に国立環境研究所で凍結保存される。将来的には、この細胞を使ったクローン再生が試みられると思われる。


支那鴇

現在は近縁となる支那鴇の繁殖が試みられ、日支で共に人工繁殖に成功、少しずつではあるが数を増やしている。

2003(平成15)年9月末には佐渡の鴇の数は40羽を数え、2005(平成17)年7月末(年内の繁殖終了時)現在では80羽となった。

2006(平成18)年5月12日には遂に100羽となり、2008(平成20)年9月から、佐渡島を中心に自然界に放って野生復帰させる放鳥が開始された。2012(平成24)年9月の放鳥で放鳥数は計100羽を超えているほか、2012(平成24)年4月22日には新潟県佐渡市で営巣・産卵していた鴇のつがいの卵が孵化、日本国内では36年ぶりの、自然界での鴇の雛誕生とされている。

鴇の名前

ハル〜ノリまで

鴇の名ハルは1953(昭和28)年に小佐渡で鴇を保護した佐渡トキ保護会長(当時)の佐藤春雄にちなんで名付けられた。

二番目のカズ、三番目のフクも同様に幼鳥の段階での保護者の名にちなんでいる。

日本産最後の鴇となったキンは餌付けした宇治金太郎にちなみ、ノリは能登半島最後の鴇ということで、能登の里の意味を込め能里(ノリ)となった。


色シリーズ

1981(昭和56)年に環境庁が鴇の人工飼育に乗り出し、佐渡に残った野生の鴇5羽を一斉捕獲した。

5匹には黄色の脚環が付けられたが、この色がその後、それぞれの名前になっている。


支那鴇

日本で命名された13羽目でありかつ、人工飼育として初めて成功した支那鴇の友友と洋洋の子は、支那風に優優(ユウユウ)と名付けられている。

これは新新(シンシン)、愛愛(アイアイ)と続いたが、その後は気が変わったらしく、げんき、さくら、たろう、じろう、かえで、ひかる、わたる、と日本風の名前に変わっている。

ちなみに、まだ名前が付けられていない鴇は、番号で呼ばれることになっている。

リンク
関連するリンク
佐渡トキ保護センター

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