IBMが自社のパーソナルコンピューター、PS/2で採用した第一世代拡張スロットの規格。
1982(昭和57)年にPC/ATで採用されたISAは数々の問題点を抱えていた。
- マイクロプロセッサーが高速化したのに対し、バス速度は非常に遅かった
- 1スロットで1つの割り込みを利用してしまう
- 8088に依存する箇所が多すぎるため、拡張カードなどは他のアーキテクチャーでは利用不可能
- バスマスターへの対応ができない
- XTバスを拡張したものであるため、信号線は不合理でノイズ対策などは事実上行なわれていない
- 他社がISAカードを続々と製造しているが、その動作検証を実施する企業や機関は無い
IBMは、この問題を一斉に解決するため、新しいバス規格を作成することとした。
それにあたり、以下のような方針を立てた。
- ワークステーションではRISCプロセッサーを利用したいので、アーキテクチャー非依存のバスとする
- 新しい規格はライセンス方式を採り、それにより互換性問題を解決し、さらにはPC市場の主導権を取り戻す
かくして、完全に新規のバス規格の策定を開始した。
- 32ビットバス(16ビットもサポート)
- データ転送はアドレスバスとデータバスに分けられていて、アドレスバスはデータ転送にも利用可能
- DDRの採用
- 最大転送速度は160Mバイト/秒
- 十分なノイズ対策と、コネクターの小型化
- バス調停機能の高度化
- ハードウェアリソースの自動割り当て(今で言うプラグアンドプレイ)
- 割り込みの共有
IBMはこのアーキテクチャーを装備したPCをPS/2と名付け、大々的に売り出した。そして、他の互換機メーカーには多額のライセンス料を請求した。
しかし「PS/2互換機」は、殆ど世に出ることはなかった。
- ISAと互換性がないため過去のハードウェアが有効利用できない(当時はハードウェアの値段が高かった)
- IBMが要求したライセンス料が高すぎたため、誰もIBMと契約しようとしなかった
- しかも、IBMはライセンス料の値下げをしなかった
IBMがPS/2を孤高の対応で販売する中、他のPC/AT互換機メーカーは次のような対応を採った。
- ISAを改良し、上位互換性があるEISAを策定
- ISAを拡張し、VLバスを策定
- VLバスはi486依存のため、将来の高速バス規格はまた別に考える(答えはPCIバス)
MCAの開発に多額の資金を投じたIBMであったが、その資金を回収することはできず、IBMはPC市場で大ダメージを受けてしまった。
最終的にはIBMもPC、ワークステーション共にPCIを採用することになり、それと同時にMCAは消滅することになる。
用語の所属

拡張スロット
関連する用語

PCI

ISA

EISA