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侍従武官の中で最先任の者。
常時天皇の側に控え、演習、観兵、行幸、宴会、謁見には必ず陪侍した。また、軍事関係事項の奏上、奏答命令の伝達などの役割を担い、陸海軍大臣、参謀総長、軍令部総長が帷幄上奏権を行使しようとした際、その上奏および裁可は侍従武官長が伝達した。
当然それらのやり取りの中には侍従武官長の考えによるニュアンスの変化や天皇から意見を求められることもあった。このように侍従武官長は統帥のトップたる天皇の軍事補佐官であり、天皇への影響力という点では両総長、両大臣のトップ4も及ばなかった。しかし、天皇は自身の考えで命令を下すということが無かったので、侍従武官長が暗躍するというようなことも無かった。
親補職であり、陸海軍中大将を親補することとされていたが、必ず陸軍出身者がなった。一方海軍出身者は昭和期では鈴木貫太郎海軍大将が1929(昭和4)年に親補されて以来、百武三郎、藤田尚徳と終戦まで侍従長を務めていた。
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