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?〜1548(天文17)年。信形。駿河守。甲斐・武田氏の親族衆であり、武田信虎の代からの重鎮で甘利虎泰と共に「職」を務める。
武田晴信(信玄)による父・信虎追放劇の時には、信虎を今川領へ送り届ける役目を果たすなど多大な尽力をし、その甲斐あって無血で実現できている。1546(天文15)年、上野国笛吹峠で上杉憲政軍を破っている。また長年敵対していた諏訪頼重との同盟を成功させるなど、文武共両面にわたる優れた才能を発揮している。
若き武田晴信(信玄)の側に常に居り、晴信の人格形成に大きな影響を与えている。遊興にふける信玄に対して決死の諫言を行なったこともある。晴信に言わせれば「小言うるさい親父」といったところであろうか。
1548(天文17)年の上田原合戦に出陣。先陣を務め3,500の兵を率いて村上軍を迎え撃った。この戦いは一時村上勢が晴信の本陣まで迫り、晴信と村上義清が馬上で一騎討ちを行なうほどの激戦となった。その後、村上勢が退いたときに信方は味方から離れたところで首実検を行なっていた。そこを村上勢が襲い、信方は討たれてしまう。なんとも奇妙な行動であるが、そもそもこの戦いへの出陣を勧めたのは信方であり、武田方の分の悪さから責任を感じ、潔く敵の刃に死を求めたのであった。
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