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ヘルムート・ヴィック

辞書:軍事用語の基礎知識 軍人編 (AUNIF)
読み:ヘルムート・ヴィック
外語:Helmut Wick ドイツ語
品詞:人名
2000/09/09 作成
2008/08/04 更新

第二次世界大戦時のドイツ空軍エースパイロット。

  • 生没: 1915(大正4)年8月5日〜1940(昭和15)年11月28日
  • 出生地: バーデン・ヴュルテンベルク州・マンハイム
  • 所属: 空軍
  • 最終階級: 少佐
  • 最終授与勲章: 柏葉騎士鉄十字章
  • 戦績:
    • 出撃回数: 168回
    • 撃墜機数: 56機
  • 1915(大正4)年8月5日: 生まれる
  • 1936(昭和11)年: ドイツ空軍に入隊し、見習い士官となる
  • 1939(昭和14)年8月30日: 第53戦闘航空団第1飛行中隊に配属

    第二次世界大戦開戦2日前に配属。

    その後、程なくして第2戦闘航空団第3飛行中隊に転属。

  • 1939(昭和14)年11月22日: 西部国境で初撃墜を記録
  • 1940(昭和15)年: 対フランス戦では急激にスコアを伸ばす

    14機を撃墜し、第2戦闘航空団内の有数のエースに伸し上がった。

    のみならず、アドルフ・ガーランド、ヴェルナー・メルダースとドイツ空軍のトップエースの座を争うまでになっていた。

  • 1940(昭和15)年8月1日: 第2戦闘航空団第3飛行中隊長に就任

    上の実績を買われた。

    バトル・オブ・ブリテンが始まると、撃墜機数は更に上昇した。

  • 1940(昭和15)年8月27日: 21機撃墜により騎士鉄十字章を授与
  • 1940(昭和15)年9月7日: 大尉に昇進し、第2戦闘航空団第1飛行隊長に就任
  • 1940(昭和15)年10月5日: 一日で5機を撃墜、通算40機を撃墜
  • 1940(昭和15)年10月6日: 全軍で4人目となる柏葉騎士鉄十字章を授与され、少佐に昇進

    昇進2週間後には、ゲーリングの前線指揮官 若返り政策により、第2戦闘航空団司令に就任した。

    これはガーランド、メルダースも同様であるが、ヴィックは彼らよりも若く、最年少の戦闘航空団司令となった。

  • 1940(昭和15)年11月6日: 再び一日で5機を撃墜

    二人のスコアを抜き、トップエースに踊り出た。

  • 1940(昭和15)年11月28日: 戦死する

    ワイト島上空の空中戦でイギリス空軍のジョン・ダンドス大尉の戦闘機に撃墜されて脱出した。

    パラシュート降下したところまでは部下に目撃されているが、そのまま行方不明になり、生前語っていた「戦いの中で死ぬのが私の望みだ」の言葉通り、戦死と判定された。

    皮肉なことに、彼が最後の出撃に出た直後に、トップエースとなった彼を失うのを恐れた軍上層部から彼宛てに出撃を禁じる命令が届いていた。

大戦初期にはアドルフ・ガーランドやヴェルナー・メルダースらと共にトップエースの座を争いあった。

両エースに匹敵する英雄ではあったが、惜しいことにバトル・オブ・ブリテンで戦死してしまったため、戦争全体を通して見た時には全く目立たない存在となってしまった。

彼は強い攻撃精神を持ち、空中における勝利に貢献したが、これは地上においても同様で、自分が納得しなければ相手が将軍であっても後へは引き下がらない頑固さを見せた。

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