友鶴事件

読み:ともづるじけん
品詞:固有名詞

1934(昭和9)年3月12日に発生した、日本海軍の千鳥型水雷艇「友鶴」が転覆沈没した海難事故。

目次

ロンドン海軍軍縮条約に基づき、600トンを超える艦艇建造には制限が課されることになった。

そこで日本海軍は、600トン以下の排水量の船体に従来の二等駆逐艦に匹敵する重武装を施した水雷艇を建造し、劣勢な駆逐艦の隻数を補おうと考えた。

これに基づき竣工したのが、「友鶴」を含む4隻の「千鳥型水雷艇」である。

竣工1ヶ月後の1934(昭和9)年3月12日、「友鶴」は僚艦と共に夜襲訓練に出た。

しかし、風波が激しくなったため演習を中止して佐世保へ帰還するも、その帰還途中に転覆沈没してしまった。原因は復元力を犠牲にして過重装備をした結果としてのトップ・ヘビーにあった。

日本海軍では翌1935(昭和10)年にも第四艦隊事件という同様の事件を起こしており、調査したところ、新しく出来た艦艇ほどその傾向が激しく、復元力が不足していることが分かり、隷下の全艦艇で徹底改修が行なわれた。

功を奏し、大東亜戦争末期に米艦艇が激しい風雨による損傷で相次いで本国に帰還する中、日本海軍では艦隊再編を余儀なくされるような問題は起こらなかった。

関連する用語
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